【ジオン公国軍・地球連邦軍 エースパイロット撃墜ランキング&詳細解説】


ジオン公国軍エース MS・艦船撃墜数】

氏名ー最終階級 MS撃墜数 艦船撃墜数

使用機種

ブレニフ・オグス中佐 193 8 MS−06F,MS−06F−2,MS−09R,MS−14
ノルデット・ハウアー中佐 191 4 MS−06S,MS−06K,MS−06R,MS−09R
ジョニー・ライデン少佐 185 6 MS−06F,MS−06R−2,MS−14C,MS−14B
エリック・マンスフィールド 大佐 156 3 MS−05B,MS−06S,MS−06R,YMS−14
シン・マツナガ大尉 141 6 MS−06F,MS−14JG
ギャビー・ハザード中佐 138 2 MS−05,MS−06FS,MS−06R−2
ロバート・ギリアム大尉 115 6 MS−06S,MSM−07E,MS−06R−2,YMS−14
グレニス・エスコット中尉 103 12 MS−06S,MA−05
 

【地球連邦軍エース MS・艦船撃墜数】

氏名ー最終階級

MS撃墜数 艦船撃墜数

使用機種

テネス・A・ユング少佐 149 3 RGM−79GS,RGM−79SC
アムロ・レイ少尉 142 9 RX−78−2
リド・ウォルフ少佐 68 4 RX−77D,RGC−80,RGM−079SP
シャルル・キッシンガム中尉 52 2 RGM−79
ロン・コウ少尉 43 3 RGM−79SC
フランクリン・ノボトニー中尉 37 2 FA−78−1
デニス・ハノーバー少尉 32 / RGM−79
 
【ジオン公国軍エース 詳細解説】
アズリ・ローディック(エクスィ・ブレ隊) アナベル・ガトー イアン・グレーデン エクスィ・ブレ隊 カーミック・ロム 黒い三連星
サイラス・ロック サラサ・ラシン(エクスィ・ブレ隊) シーマ・ガラハウ ジェラルド・サカイ  シム・ガルフ(エクスィ・ブレ隊)
シャア・アズナブル  シャン・カミル ジョニー・ライデン シン・マツナガ トーマス・クルツ ハイド・ネィクトゥ(エクスィ・ブレ隊)
フィオ・フライシス(エクスィ・ブレ隊)
 ブレニフ・オグス マサヤ・ナガカワ マルロ・ガイム ミスク・ラル(エクスィ・ブレ隊)
ララァ・スン ランバ・ラル ロバート・ギリアム

【地球連邦軍エース 詳細解説】
アムロ・レイ  リド・ウォルフ
 


アズリ・ローディック(Azzurri.Rodick)=エクスィ・ブレ隊(ジオン公国軍)
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サラサ・ラシンと同様、もともとはジオニック社のMSテスト・パイロットであり、MS開発における稼動テストでは常にサラサ・ラシンと共に試作MSに搭乗していた。そして、その操縦技術はサラサ・ラシンにも引けをとらないとも言われており、エクスィ・ブレ隊の結成をシャン・カミルから聞かされたサラサ・ラシンは、アズリ・ローディックをぜひメンバーに加えるようシャン・カミルに懇願し、それが認められ、この隊への入隊が決まった。エクスィ・ブレ隊への入隊後は、旧知の仲であるサラサ・ラシンとの絶妙なコンビネーションで、多くの戦果をあげていった。

階級(終戦時):軍曹 年齢:29歳 性別:男



アナベル・ガトー(ジオン公国軍)      →BACK

 一年戦争末期、ドズル・ザビ中将麾下の宇宙攻撃軍所属のエースパイロットである。
 主に宇宙要塞ソロモンを中心とした宙域、ソロモン海で活躍する302哨戒中隊を指揮し、ソロモン周辺のサイド1の残骸でできた暗礁宙域を抜け、たびたび連邦に攻撃を行った。
0058年生まれで、終戦時21歳。階級は大尉であった。

 連邦軍将兵からは《ソロモンの悪夢》の名で恐れられた。
 もっとも、公国軍は撃墜数のカウントが厳密であるため、記録上の数字は80機程度であったといわれ、所謂、トップ・エースではない
 (連邦軍の記録ではアナベル・ガトーによる撃墜とされる数字は公国側の記録よりはるかに多い。
 これは、他のパイロットによる撃墜がアナベル・ガトーによるものと誤認されたためと思われる。)
 彼の名を一躍有名なものとし、戦後、士官学校の現代戦史の教科書に載るほどのものとしたのは、その撃墜数ではなく、ソロモン海戦での活躍であったと見なすべきであろう。

 ソロモン海戦はドズル・ザビ中将のMA-08ビグ・ザムによる地球連邦軍第2連合艦隊(通称、ティアンム艦隊)への特攻を以って、全軍に撤退命令が発せられた。
このとき、戦力を分断されながらもソロモン守備の残存艦隊は、最終防衛ラインの一翼、ア・バオア・クーへの撤退を図った。連邦軍艦艇はこれを容認せず、激しい追撃、掃討を行った。このとき、アナベル・ガトーはMS-09Rリック・ドムを駆り、ドロス級大型輸送空母〈ドワロ〉を擁する撤退艦隊のシンガリを務めた。彼の働きで、本来優位に立つはずの連邦軍追撃艦隊は多大な損害をこうむり、ソロモン陥落の余勢を駆った部隊は、まさに『悪夢』そのものを味わうことになる。

 アナベル・ガトーは、一年戦争最後にして最大の激戦となったア・バオア・クー攻防戦ではMS-14ゲルググに搭乗した
 (このときのMS-14のタイプはMS-14A,YMS-14のどちらかと思われるが、記録上の特定はない。
 機体はグリーンとブルーのパーソナルカラーに塗り分けられていた)。
 新鋭機を得た彼の活躍は先のソロモンからの撤退時のものに勝るとも劣らぬものであった。
 だが不運にも連邦側のRGM-79ジムにより発射されたビームを片腕に被弾。
 付近にいたグワジン級大型戦艦〈グワデン〉へ着艦、この格納庫に置かれていたドムのカスタム機(型式番号不明。MS-09F/TROPドム・トローペンを宇宙仕様に改修した機体であった。)を無断で借用し、再度出撃を図ろうとした。
 このとき、この機体の持ち主であるエギーユ・デラーズ大佐(当時)は、ギレン・ザビ総帥戦死の報に接し、キシリア・ザビ少将による謀殺を直感、麾下の艦隊へ戦線からの離脱を呼びかけていた。
 エギーユ・デラーズは自機に乗り込もうとするアナベル・ガトーの姿を目にして、彼の所属艦隊である〈ドロワ〉撃沈を、総帥戦死の報とともに告げた。
 「『我らは総帥の志を継がねばならんのだ。』その言葉に大尉は信じ難いという顔で、デラーズ大佐を振り返った。
 『生き恥をさらせと?』大尉は敢えて問い、『私は行きます』といい放つや、コックピット・ハッチを開放せんとした。
 『ならん』と一括し、大佐は制した。『今は耐えるのだ。生きてこそ得ることのできる栄光を、この手につかむまで、その生命、わしが預かる。・・・いいな。』
 アナベル・ガトーはア・バオア・クーを死地と定めていたが、この説得によってエギーユ・デラーズに従い、陥落が間際に迫ったこの宇宙要塞を脱出した。
  彼は、終戦直後、他の公国軍同様、カラマ・ポイントへ現れている。
 ここで、彼はアクシズへは向かわず、地球圏に残ったエギーユ・デラーズの艦隊、デラーズ・フリートの一員となった。
 彼のエギーユ・デラーズへの心酔ぶりは多くの人が語り、誰もが認めるところである。
 ただ、宇宙攻撃軍に所属したアナベル・ガトーとギレン・ザビ麾下のエギーユ・デラーズの接点は、一年戦争末期まで、非常に少なかったと思わざるを得ない。
 彼が、エギーユ・デラーズの薫陶を受けるのは、ア・バオア・クー攻防戦で「その生命」を預けてからと見るべきであろう。

 0080年3月、デラーズ・フリートは暗礁宙域に繁留基地〈茨の園〉の設営を開始した。
この基地の運用が軌道に乗り、デラーズ・フリートが各地でゲリラ活動を開始するのは、翌年8月、ジオン公国国慶節(8月15日)以降である。この間アナベル・ガトーをはじめとするMSパイロットたちは、月面の恒久都市やサイド6に潜伏していた。

 アナベル・ガトーが〈茨の園〉のデラーズ・フリートに合流したのは0081年9月17日。
 一年半にものぼる期間、彼は月面の恒久都市フォン・ブラウン市にいた。
 月での生活をエギーユ・デラーズに問われ、彼は「私にはどうやら、月の重力は合いかねるようで・・・」と曖昧な言葉で感想を洩らしたという。
 月での潜伏を彼は「月に身を委ね、時期の満ちるのをひたすら待っていた」と形容したこともある。

 フォン・ブラウン市での具体的な行動について彼は明言していない。
 しかし、現在では、アナハイム・エレクトロニクス社の技術員、二ナ・パープルトンと親密に交際していたことが判明している。
 ただし、この交際は彼が公国軍残党ということもあり、あまり公にはされていなかった。
 この事実を知っていたのはごく限られた人間だけであった。
 (二ナ・パープルトンの親友、ポーラ・ギリッシュは彼女自身からこの恋愛について当時、あるいは事後に相談されている。
 また、仕事上のライバル関係にあったルセット・オデビーも、本人から聞いたわけではなかったが、この関係を承知していたことを後に告白している)。
 公国軍残党側でもどの程度、彼の恋愛について知られていたかは疑問である。
 少なくとも同市に潜伏中だったケリー・レズナー大尉は承知していたが、大尉はソロモンで彼とともにあった最も親しい戦友の一人である。
 《ソロモンの悪夢》の月潜伏中の恋愛はデラーズ・フリートないではほとんど知られていなかったと見なすべきであろう。

 彼はデラーズ・フリートのゲリラ活動開始に伴い〈茨の園〉へ向かった。
 このとき、彼は二ナ・パープルトンに別れの言葉すら残さず、忽然と姿を消している。
 このときの心情を、彼は後に、すべてを忘れてほしかったのだと語ったという。
 二ナ・パープルトンとの恋愛がとのようにして始まったのかは皆目見当もつかない。
 しかし、彼がなぜ、このような関係をもたざるを得なかったかは想像に難しくない。
 公国の再興に身を託す決意をした彼であったが、いつ再興されるかもわからぬ「独立戦争」の召集を待つことは彼のような「戦鬼」にとって、耐え難い苦痛の時間であったろう。
 (彼のこの時の心情を察するには、戦友のケリー・レズナー大尉の言動により推察するのが適当であろう。
 大尉は負傷のためデラーズ・フリートに合流できなかった。
 かといって月で暮らしつづけるには抵抗があり、心中に再起の念を燻らせることとなった。
 一時はジャンク屋として一生を終える決意をしたと洩らした大尉の心情こそ、彼が二ナ・パープルトンと関係をもった理由に近いものであろう。)

 デラーズ・フリートに合流した彼は少佐に昇進。
 0083年に立案、遂行された星の屑作戦でも最も重要な部分を担うこことなる。
 このときの彼のコードネームは「バルフィッシュ」であった。

 0083年10月9日、彼は地球に降下、13日にはオーストラリアの連邦軍トリントン基地よりRX-78GP02Aガンダム試作2号機を、搭載された戦術核弾頭とともに奪取している。
 彼はRX-078GP02Aを目にした時、この機体を「素晴らしい、見事な機体だ」と評した。
 対核装備を施され、自らも核弾頭を使用できるMSは、彼の想像する連邦そのものだったのであろう。この形容は未だ「ジオン独立戦争」が継続していると主張する者から見た南極条約に平然と違反する連邦の醜悪さへの皮肉である。

 このとき彼はRX−78GP01ガンダム試作1号機のパイロット、コウ・ウラキ少尉と対峙した。
 これが初陣であった少尉の技量は《ソロモンの悪夢》にとって「未熟」の一言に尽きた。
 しかし、追撃戦において少尉は奇しくも、ガンダム開発計画のスタッフとして同行していた二ナ・パープルトンの助言によってRX-78GP02Aの弱点を教えられ、これに搭乗していたアナベル・ガトーに一撃を与えるという金星を挙げた。
 彼と少尉の間にはこのとき以来因縁めいたものが生まれたといってもよいであろう。

 アナベル・ガトーは、11月10日に挙行された観艦式で、RX78GP02Aの核弾頭を利用して連邦軍を奇襲、参加艦艇の3分の2以上を航行不能にした。
 この直後、コウ・ウラキ中尉のRX78GP01−Fbガンダム試作1号機フルバーニアンと交戦、双方の機体が爆砕する結果となった。
彼は、このとき初めてコウ・ウラキ中尉をライバルと認めたものか、「確か、ウラキといったな。二度と忘れん。」と中尉に棄て台詞を残して脱出している。皮肉にもこのとき、コウ・ウラキ中尉は彼の潜伏時代の恋人、ニナ・パープルトンと親密な関係にあった。

 RX−78GP02Aを失った彼は11日、アクシズ先遣隊より、新型MA、AMA−X2ノイエ・ジールを受領。
 このMAを以て、星の屑作戦完遂のために戦った。
 彼は、多くの将兵に慕われたが、それは単に《ソロモンの悪夢》としての戦績によるものではなかった。
 高潔な人柄と、掲げた理想の高さ、また、そこに邁進するひたむきな姿が人々の心を魅了していたのである。
 この点、彼は薫陶を受けたエギーユ・デラーズに非常に似ている。
 彼らを評して親子のようだという人もあるが、確かにその精神的な紐帯は師弟というよりは父と子を思わせる。

 彼がいかに公国軍の将兵に愛されたかの例は枚挙に遑がない。
 星の屑作戦遂行時、キンバライド基地へ立ち寄ることになった彼を、ノイエン・ビッター少将が秘蔵のワインを封切り、歓迎したことなどはその顕著な例であろう。
 また、彼自身も同胞を愛していた。
 このことを語る挿話が観艦式襲撃事件直前にカリウス軍曹と交わされた会話である。
 軍曹は302哨戒中隊の一員として彼と共に戦い、デラーズ・フリート蜂起に際して合流した古参のパイロットである。
 「出撃20分前になった私は少佐にMSデッキに向かうよう、着艦管制室へ行った。
 少佐は宇宙を見ておられた。
 日頃、首のあたりで縛っておられる髪はほどかれ、乱れた髪は幾筋も少佐の面にかかっていた。
 私は物憂げな印象を受け、『どこか、お加減でも』と問いかけた。
 『いや』と少佐は仰った。
 『この海で散っていった同胞のことを想うとな』 私は胸の打たれる思いであったが、強いて表に出すまいと努めた。
 直接少佐につづいて戦った者も、このときは私だけになっていたのだ。
 『カリウス、私はこれでよかったのか』少佐は問われた。
 『多くの魂が漂うここへ戻ってきて・・・私は多くの犠牲の上に立っているのではないか』 嗚呼、この方はなんと穢れのない人なのであろう。
 私は胸に満ちる感慨で声音が乱れるのを感じた。
 『それは指揮を執るものの宿命でしょう。この海はまだ若いのです。波が穏やかになるにはまだ・・・』 
 そうだな。と少佐は私の方を振り返られた。
 物憂げであっても、少佐の目に迷いはなかった。
 『私はただ、駆け抜けるだけのことだ』少佐の決意に私は『はい』と答えた。
 『このときのために皆、集まったのです』と・・・。」

 連邦軍のMSパイロット、サウス・バニング大尉はコウ・ウラキ少尉へアナベル・ガトーの強さは何かと、いう問いかけをしたことがある。
 少尉は信念ですか、と答え、大尉は彼の迷いのない心こそ、その強さだと語ったという。

 コウ・ウラキ少尉は先にも述べたように観艦式襲撃事件の折、彼と交戦。
 このとき少尉は執拗に彼への交信を要求し、582の回線で彼からの返信を得た。
 RX−78GP02A強奪の屈辱を訴える少尉に答えた彼の言葉は、ペガサス級強襲揚陸艦〈アルビオン〉にも傍受されていた。
 交信記録に残されている彼の言葉が、彼の「迷いのない心」の一端を示唆している。
 「闘いの始まりは、すべて怨恨に根ざしている。当然のこと!」「しかし、怨恨のみで闘いを支える者に私は倒せぬ!」「私は義によって立っているからな」「歯車となって闘う男には判るまい」・・・・・

  この自信に満ちた言葉を聞けば、なるほど、同じジオン軍残党でありながらもシーマ・ガラハウ中佐を嫌っていたのも合点がいく
 (シーマ・ガラハウ中佐率いる艦隊は星の屑作戦実施1ヶ月前、9月にデラーズ・フリートへ参加する予定だったものが、彼との諍いによって破談となっている。
 シーマ艦隊の参加はアナベル・ガトー少佐の地球降下後に再度、エギーユ・デラーズが協力を打診したことで成立した。)

 星の屑作戦後半、地球へ向けたコロニー落としの最中にシーマ・ガラハウ中佐は謀叛、グワジン級大型戦艦〈グワデン〉のブリッジを占拠した。
 異状に気が付いた彼は〈グワデン〉のブリッジに、エギーユ・デラーズへ銃口を向けるシーマ・ガラハウ中佐の姿を認め、ブリッジと通信を行った。
 このとき、エギーユ・デラーズは銃口にいささかも怯むことなく、アナベル・ガトーへ作戦完遂を求め、シーマ・ガラハウ中佐に射殺されたという。
 激昂したアナベル・ガトーは〈グワデン〉ブリッジをAMA-X2の腕で破壊している。
 (〈グワデン〉は直後に沈んでいるが、これはシーマ・ガラハウ中佐のAGX-04ガーベラ・テトラの攻撃による。)

 アナベル・ガトーはエギーユ・デラーズの遺命を実現すべく、コロニーの破壊を目論む連邦軍のソーラシステムUのコントロール船を破壊、さらに最終仕上げとして託されていたコロニーの軌道調整を行った。

 軌道変更のため、コロニーのコントロール室で推進剤を点火しようとした彼のもとへ、ニナ・パープルトンが現れた。
 コロニーの阻止限界点突破を阻止すべく、孤軍奮闘していた連邦軍の〈アルビオン〉に彼女は乗艦していた。
彼女はかつての恋人の手によって最終軌道調整が行われると確信。
これを阻止すべく、単身、コントロール室へ向かったのである。

 彼女の向けた銃口の前で、彼は「私はジオン再興に身を託したのだ。」と断言すると推進剤の点火レバーを押し上げ、「君こそが、星の屑の真の目撃者なのかもしれない」と告げたという。
 このとき、彼女は引き金を引くことができず、遅れて到着したコウ・ウラキ中尉(戦時昇進)」が狙撃、アナベル・ガトーは腹部に重症を負った。

 コントロール室での邂逅は、人間関係の混乱が極みに達した状況といえるだろう。
コウ.・ウラキ中尉はニナ・パープルトンとアナベル・ガトーの関係を直ちに理解することができず、彼女が中尉へ銃口を向けアナベル・ガトーとともにコントロール室を脱出する背中に、ただ恐慌するばかりであった。これとは反対にアナベル・ガトーは終始冷静であったといい、この不意の再開に(すくなくとも表面上は)いささかも驚きをしめさなかったといわれる。

 コントロール室を後にしたアナベル・ガトーはニナ・パーブルトンより事情をきかされ、「ならぱなおのこと、私を放っておいてほしいものだ」と評したという。
 2人を制止するためにはほかの方法がなかったというニナ・パープルトンヘ、彼は「すまん」と詫びるや当て身を喰らわせ、コロニーからの脱出を促すために来たカリウス軍曹に託した。
 彼はAMA‐X2へ搭乗し、コロニーを脱出してくるコウ・ウラキの乗機、RX‐78GP03ガンダム試作3号機を待ち伏せた。

 AMA‐X2とRX‐78GP03の戦闘は織烈なものとなった。
 機体性能に加え、これまでの1カ月にわたる実戦で、コウ・ウラキ中尉も技量を上げていた。
 中尉はアナベル・ガトーと互角の戦いを見せた。しかし、アナベル・ガト一は乗機の隠し腕を用い、RX‐78GP03を抑え込み、〈ステイメン〉部の分離をも不可能とさせた。
 この時点でアナベル・ガトーの勝利は確定していたといえよう。

 だが、地球軌道艦隊はコロニー周辺のデラーズ・フリート残存艦艇の掃討を、2度目のソーラ・システムU照射によって行おうとしていた。
 先にアナベル・ガトーがコントロール船を撃沈したことにより、25%の威力しか持ち得なかったソーラ・システムUであるが、その威力はなお絶大であった。
 この照射によって、AMA‐X2は交戦中のRX一78GP03とともに破損。
 アナベル・ガトーは二ウ・ウラキ中尉を見逃し、自らは残存部隊の突破口を開くべく、向かった。
 「いいか、一人でも突破し、アクシズ艦隊へたどり着くのだ。
 我々の真実の戦いを後の世に伝えるために」

 アナベル,ガトーはアクシズ先遣艦隊からの回収作業終了の通信を無視、僚友を脱出させるべく、連邦軍のサラミス改級宇宙巡洋艦で構成された艦隊に突攻した。
 RX‐78GP03との交戦と、ソーラ・システムUの照射によって機体の破損は著しかったが、彼は数隻を撃沈、敵より発せられるミサイル弾幕に被弾しながらもサラミ改級のブリッジに激突、これと相討ちになる形で沈めている。
11月13目01時19分のことであった。

 アナベル・ガトーが何故にコウ・ウラキ中尉に止めを刺さなかったのか。
 単純にこの直前に勝利を確定しでたため、情けをかけた…これは一見、筋の通りそうな理由であるが、敗者として中尉を生き延びさせることいかに残酷なことか、彼が承知していなかったとは思えない。
 アナベノレ・ガトーはRX‐78GP02Aを爆砕されたコウ・ウラキ中尉をライバルと認める発言をしていている。
 となれば、考え得るのは、アナベル・ガトーが中尉とニナ・パープルトンの関係を知ったことが、この不余行動の理由であるということだ。
 このとき、アナベル・ガトーが死を覚悟していたのは確実である。

 ニナ・パープルトンはカリウス軍曹によってアクシズ先遣艦隊旗艦のグワンパン級超大型宇宙戦艦(グワンザン〉に収容された。
 彼女は艦隊司令ユーリー・ハスらー少将の回収作業終了の宣言に、アナベル・ガトーの帰還を待つよう、5分の猶予を求め、拒絶されている。
 司令はもちろん、艦隊の誰もがアナベル・ガトーの意志を承知し、彼がこの艦隊にたどり着くことはないと知っていたのである。

 このときニナ・パープルトンの手にはブルー・ダイヤモンドの原石があったという。
 これはアナペル・ガトーがキンバライト基地よりHLVで打ち上げられた際、基地司令のノイエン・ビッター少将より託されたものであった。
 アナベル・ガトーはこれをかつての恋人に渡していたのである。
 おそらく、彼女はこの原右を託された意味を考えたのであろう。
 直後、ユーリー・ハスラー司令からアクシズへ向かうか、地球へ向かうかという問いかけに対し後者を選択している。

 アナベル・ガトーは、自らが公国再興の礎となることを覚悟していた。
 それゆえに、コウ・ウラキ中尉との間にパイロットとしての勝敗が確定した時、彼は中尉を連邦軍のパイロットとしてではなく、ニナ・パープルの恋人として遇することに決めたのだろう。
 中尉ではなくかつて時をともにした女性に情けをかけたのである。
 ニナ・パープルトンが過去の男と立ち去るのを目にしたコウ・ウラキ中尉には、屈辱以外のなにものでもなかったであろう。
 しかし、アナベル・ガトーはRX‐78GP03との戦闘で勝利が確定したとき、コウ・ウラキ少尉をパイロットとして見てはいなかったのである。
 彼とコウ・ウラキ少尉の戦いを、武人としてのアナベル・ガトーという面でのみ測るべきではない。
 彼の、軍人以外の顔を窺い知る、数少ない事例と見倣すべきであろう。



イアン・グレーデン(公国軍)     →BACK

U.C.0051年、サイド3に生まれる。
 公国軍への入隊時期は早く、当初は後方支援部隊に配属されていたが、開戦前後にはMS訓練部隊で重力下でのMS戦闘の教導にあたっていた。
 これは一つには彼が優れた理論家であったこと、もう一つはMSに早くから注目していたことが大きい。
 特に後考は彼の「先読み」の証明といわれ、その戦果とともにニュータイプといわれる所以である。

 地球侵攻作戦の実施に伴う改編で地球方面軍が設立されると、第2地上機動師団へ配属となった。
 3月11日の第2次降下作戦で北米へ降下し、キャリフオル二ア・べ一ス攻略戦に参加。
 基地制圧後は同墓地の守備にあたった。MS‐06Kザクキヤノンで新部隊、地球方面軍キヤャリフオルニア・ベース直属支援戦闘MS中隊が編制されると、それまでの戦果により中尉に昇進し、同部隊の指揮を任された。

 MS-06Kでの戦果は終戦までに航空機34機、車輛71輛、MS2機である。
 MSエ一スではないが、この撃破数は非常に多く、戦後の連邦軍による調査でニュータイプの可能性を検討されたともいう(調査結果については不明)。
 なお、同部隊の彼の部下、アルフレデイーノ・ラム少尉(終戦時)も対地支援攻撃において高い命中率を示し、ニュータイプの可能性を当時より噂されたが、こちらは戦後の調査で否定されている。

 12月上旬より開始された連邦軍の北米掃討作戦においては、北より進攻する連邦軍の物量に反攻かなわず、フロリダ半島のケープカナベラル宇宙基地へ撤退を余儀なくされた。
 彼はここで終戦を迎え、抑留。翌年10月に釈放され、ジオン共和国へ帰国した(アルフレデイーノ・ラム少尉も同基地で終戦、中尉同様に共和国への帰国の途に就いた)。
 軍籍番号はPM0513384612G。




エクスィ・ブレ隊=Exy.bre Squad 公国軍特務遊撃部隊     →BACK

司令 シャン・カミル(Chan.Camil) Age:44 ♂ 大佐
隊長 サラサ・ラシン(Salassa.Rasheen) Age:29 ♂ 中尉
隊員 シム・ガルフ(Chim.Gulff) Age:32 ♂ 少尉
アズリ・ローディック(Azzurri.Rodick) Age:27 ♂ 軍曹
フィオ・フライシス(Fio.Frisease) Age:25 ♀ 軍曹
ハイド・ネィクトゥ(Hyde.Naktto) Age:23 ♂ 伍長
ミスク・ラル(Misqu.Ral) Age:19 ♀ 伍長

公国軍エースパイロット「蒼い閃光のサラサ」ことサラサ・ラシンを隊長とするMS6機編成からなる特務遊撃部隊。特務遊撃大隊司令シャン・カミル大佐の立案にて結成され、さまざまな特務に出撃する。隊員がそれぞれエース級の腕を持つ少数精鋭の部隊で、隊長のサラサ・ラシンのパーソナルカラーである青いカラーリングのMSに乗機する。



カーミック・ロム(公国軍)
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 サイド2生まれであり、後、公国へ移住。
 外人部隊であったと思しき地球方面軍第5地上機動師団第2MS大隊に所属し、激戦区であった中東西部に侵攻した。

 彼はパーソナル・エンブレムとしてアラビア人の女性を機体に描いていた。
 このエンブレムは後に彼の率いた遊撃部隊のマーキングとしても使用されている。

 この遊撃部隊は〈スコルピオ〉隊(或いは〈スコルピオン〉と表記される)の通称で呼ばれた。
 部隊はMS‐06Dザク・デザートタイプとMS‐07グフを中心に構成され、カーミック・ロム自身はMS‐06Dに搭乗していた。

 大尉の階級で終戦を迎え、後にサイド7へ移住している。



黒い三連星(公国軍)     →BACK

 ルウム戦役は人類史上最大の艦隊戦というだけではなく、異名を持つMSパイロツトによる2つの事柄により、人々の脳裏に刻まれている。
 一つは《赤い彗星》のシャア・アズナブルによる5隻の連続撃沈((アズナブル少佐の五般跳び)と一部では称される)。
 もう一つは《黒い三連星》によるレビル中将(当時)の捕縛である。
 《黒い三連星》は、ガイア大尉をリーダーとした、マッシュ、オルテガの3人からなるMSチームであった。
 彼らの異名の「三連星」はチームの構成人数に由来するが、「黒」に関しては2つの説がある。
 一つは乗機を黒く塗っていたためとする説、もう一つは愛用していたパイロツト,ス一ツが黒かったためとする説である。

 彼らを特殊部隊と形容する人も多いが、これはキシリア・ザビ少将直属であり、独立部隊として運用されることが多かったためであろう。
 また、ルウム戦役におけるレビル中将の捕縛が、いかにも特殊部隊的な活躍として喧伝された結果ともいえよう。
 しかし、実際のところ、〈サイクロプロス〉隊などのように、MSを降りての作戦行動までをも行ったかどうかまでは、現在のところ判じていない。
 我々が《黒い三連星》を想起するときは、エース・パイロツト・チームとしての彼らであることが多い。
 正式名称は突撃機動軍第7師団第1MS大隊司令部付特務小隊である。

 彼らの名を一躍高めたのが、先に挙げたルウム戦役での活躍なわけだが、このときの乗機はMS‐06CザクUC型であった(MS‐06SザクUS型であったとする説もある)。
 彼らはこれにパスーカを装備し、3機でのコンビネーションによる攻撃、ジェット・ストリーム・アタックを使用し、連邦側の艦艇、戦閾機を次々と撃破していった。
 ルウム戦役において連邦艦隊旗艦であったマゼラン級宇宙戦艦〈アナンケ〉は彼らのジェット・ストリーム・アタックにより撃沈され、ここより脱出しようとした艦隊総司令レピル中将は捕虜とされたのだ。
 なお、先にも記した通り、指揮系統からいえぱ、《黒い三連星》はキシリア・ザビ少将の突撃機動軍に属し、ルウム戦役にはドスル・ザビ中将の宇宙攻撃軍へのキシリア・ザピ少将からの援軍という形で参戦することとなったという。

 ルウム戦役での働きの目覚ましさから、当時、少尉であったガイアは昇進、3名は乗機をMS<>‐06SザクUS型へ乗り換えた。
 今日、《黒い三連星》の機体のパーソナル・カラーとして知られる、ダークグレーとパープル、ミデイアムシーグレーの塗り分けがなされたのはこのときからであった(それまではシーグレー1色であった)。
 とはいえ、ルウム戦役において彼らのパーソナルカラーと同じ塗装の機体を目撃したとの報告もあり、《黒い三連星》以外にもこのカラーを用いた部隊が緒戦において存在したとも考えられる。
 この説によれぱ、《黒い三連星》のパーソナル・カラーはこの部隊より譲られたものであるという。

 また、彼らがチームを組み、行動するようになったのは、ルウム戦役が最初であったという。
 彼らの乗機の機体ナンバーはガイア大尉が03、マッシュが02、オルテガが06であり、このことがもともと別々の小隊であったことの証左とされる。
 彼らの所属した突撃機動軍第7師団第1MS大隊司令部付特務小隊は、一週間戦争直後までは頻繁に構成員が変更されていたという証言もある。
 となれば、《黒い三連星》としての緒戦において、彼らはレピル中将を捕虜とするという大全星を挙げたことになる。
 ただし、この点に関しては異論もあり、開戦時、この3名がサイド5方面攻略部隊として参加していたとする説もある。
 れによれば、彼らはMS‐05BザクIB型を乗機としてジェット・ストリーム・アタックを用い、駐留の連邦軍と果敢に戦ったものの、駐留部隊を指揮したレピル中将の手強い抵抗の前に作戦は失敗、後退を余儀なくされたのだという。 (これが事実とするならぱ、《黒い三連星》は緒戦での屈辱をルウム戦役で晴らしたといえよう)。

 チームの結成時期については諸説あるものの、彼らは0075年に創設された教導機動大隊の第1期パイロツ卜であり、同じ第2中隊D小隊に名を連ねていた。
 このころよりすでに面識があったことは想像に難しくない。
 ちなみに教導機動大隊時代、彼らはMS-05Bに搭乗していたが、このときの機体色はダークブルーであったといわれる。
 彼らは教導機動大隊時代の実戦を経て、前線で意気投合し、チームを結成したとする説もある。
 なお、教導機動大隊時代から開戦時までの階級をガイアは軍曹、オルテガ、マッシュはそれぞれ曹長だあったと記載している文献もある。
 ただしチームリーダーであるガイアが他の2名より1階級下であったことは、奇妙であり、なんらかの誤りと思われる。

 開戦よりおよそ3ヶ月が経過した0079年4月、《黒い三連星》はエ一ス・パイロット・チームとして古巣の教導機動大隊で新兵に対して特別講習を行なっている。
 緒戦で公国軍は多大な戦果を挙けていたが、その一方で多数の熟練パイロットを失っていた。
 しかも、地球攻作戦の一環として実施された地球降下作戦によって多くの将兵をを地球へ送り込むこととなり、公国軍は絶対的な人手不足となっていた。
 パイロットや、彼らを支える整備兵の養成は公国軍において急務で大隊での特別講習はその中で行われ、勇名を馳せたエ一ス・パイロットが直接に薫陶を与えることで、実戦に即した技能を伝えるのみならず士気の鼓舞をも図ったものであった(この特別講習には《黒い三連星》以外にも、《赤い彗星》ことシャア・アズナブルをはじめ、緒戦で公国国民にその名を知られることとなったエ一ス・パイロットたちが名連ねている。特別講習自体は3月から行われていた)

 特別講習の期間は1週間。>
 これは、彼らの乗機であったたMS‐06Sのオーバーホールを特別講習の間に行なう目的をも兼ねて与えられた後方任産であった。
 そのため、彼らはMS‐05Bに搭乗、新兵への指導を行なった。
 このときのMS‐05Bはかつて彼らが搭乗したものであったが、新品同様にレストアされでおり、パーソナル・カラーに再塗装されていた(作業は手整備兵たちが行ったという)。
 特別講習では補給艦隊の護衛、掌捕した連邦軍艦艇の攻撃、さらにはMS‐05、MS‐06Cを用いた模擬戦などが行われたという(連邦量のMSはこの段階では開発の緒についたぱかりであったが、早晩、連邦側が、MSの開発に成功することは明らかだった。)
 特筆すべきはこの特別講習の最終日に彼らが連邦軍と実戦を行っていることである。
 特別講習はソロモンとグラナダを結ぶ補給線上で行われていたが、この宙域に強国偵察を行った連邦軍と、艦艇の追撃任務を想定した演習中の《黒い三連星》と訓練兵による3個小隊が接触したである。
 《黒い三連星》はこの戦闘を新兵たちに任せ、後退した偵察部隊の母艦であったマゼラン級宇宙戦艦1隻をジェット・ストリーム・アタックで撃沈。
 対艦戦闘の範を示した。

> この後、再び前線へ赴いた《黒い三連星》はMS06R‐1A高機動型ザクR‐1Aタイプを乗機とした。
 この時期、何枚かの情宣用の写真を撮影、公開されたとされている。
 そのうち、1枚はR型を使用した初めての戦闘であったといわれ、公国領空近くへ進入してきた連邦軍の強行偵察艦隊に対してジェット・ストリーム・アタックをかけた直後の白兵戦の模様であった。
 また、別の1枚は地球へ降下する直前、グラナダ付近で作戦行動中のルナツー所属のパトロール艦隊と交戦している姿であった(この戦闘ではマゼラン級宇宙戦艦1隻、サラミス級宇宙巡洋艦2隻が撃沈され、うち2隻を《黒い三連星》が墜としたといわれる。

これらの働きの目覚ましさから、ガイア大尉の小隊は1個師団の戦力に相当するとまで言われるようになる。
 オデッサ防衛においてキシリア・ザピ少将がマ・クベ少佐(当時)」に増援として《黒い三連星》を送ったのは、そのような戦力算定の結果でもあった(このような算定がMS同士の戦闘になった場合、無意味であったことは、オデッサにおける公国側の敗北が雄弁に物語っている)
 彼らは重力下での戦闘を前提とした陸戦トレーニングのあと、地球に降下している。

> 一部では彼らも、シャア・アズナブル同様にニュータイプと噂されていた。>
 この真偽ついては確認のしようがないが、いわゆるパイロットと呼ぱれる人々がすべてニュータイプの可能性ありと見なされていて時期があるのは事実である。
 ガイア大尉は自分がニュータイプであるといわれることに不快の念を覚えていたようで、冗談交じりにこのことを口にしていたという。
 ガイア大尉は実戦の経験からニュータイプの存在を信じていた節がありオデッサ防衛のために地球へ降下した際、マ・クベ少佐と次のような会話を交わしたとされる。
 マ・クベ少佐は《黒い三連星》に対して、先にレビル大将の正面戦力を叩き、しかる後、〈WB〉攻撃にあたるように求めた。
 これに対してガイア大尉は、「『甘いのではないか?ニュータイプなのだろう?』大尉は疑義を呈された。
 『私は信じんよ、ニュータイプの存在など』と謂われた。
 『司令は直接戦闘せんからわからんのだ』と大尉はいうと、『あの〈木馬)というやつの実績は舐めるわけにはいかん』と補足した。 
 これに対し少佐は常に冷淡さのまま、『力押ししか考えられんからそうなる』と応じられた。
 大尉は不服そうな顔をしていた。

 オデッサ防衛のために降下した《黒い三連星》には当時の最新鋭機であるMS-09ドムが支給された。
 熱核ジェット・エンジンによるホバー走行は、彼らに地上においても宇宙空間同様の戦法を可能にさせた。
 ジェット・ストリーム・アタックは3機のMSによる連続攻撃であり、機体の高機動性が不可欠なのである。
 地上を2本の足で走るという方法では宇宙空間ほどの戦果を挙げることはできなかったであろう。
 その点でMS‐07グフではなく、いち早くMS-09が与えられたとは彼らの戦術的特性が理解されていたことによると思われる。
 ただ、彼らはオデッサ防衛の戦力として確たる戦果を挙げることなく戦死する。
 これは〈ニュータイプ部〉と称される〈WB〉隊との交戦の結果であった。
 レピル大将の正面戦力にあたるよう、マ・クベ少佐は命じたが、ガイア大尉がこれを実行したかについては記録が残っていない。
 〈ニュータイプ部隊〉への興味から〈WB〉攻略を独断で優先したという可能性も否めない。
 (ただし、この点については異説がある。マ・クベ少佐が自ら〈WB〉隊への攻撃を優先するよう求めたとするものである。

 〈WB〉隊との戦闘は1回とも2回ともいわれ、一般的には前者の方に信憑性を感じる人が多い。
 前者にあっっては、ガイア大尉、マッシュがアムロ・レイのRX‐78‐2ガンダムのビ−ムサーベルによって、オルテガがセイラ・マスのコア・ブースターのビ一ムにより戦死したとされる。
  後者の説によれば、マッシュ機の撃破後、ガイア大尉、オルテガの2名は後退、オデッサ作戦開始後に再度、〈WB〉隊へ攻撃を仕掛け、ここで戦死したとされる。
 後者の説を支持する記録においては、しばしぱ、ガイア大尉による同僚の葬儀が紹介される。
 「ガイア大尉は戦友の死を悼み、乗機の得物を天へ構えた。
 『マッシュの魂よ、宇宙に飛んで永遠の歓ぴの中に漂い給え』彼はそう詠み上げると、どおん、どおん、とジヤイアント・バスを弔砲がわりに数発発射した」

 撃墜数はチームとして戦艦、巡洋艦合わせて14隻といわれる。
 個々の戦績ではシップス・エ一スには達しないものの、彼らはジェット・ストリーム・アタックに代表される連携攻撃でもわかるように、3人で1組という自覚を持っていた。
 そのことを思うと、マッシュの死後、オデツサの戦いでガイア大尉とオルテガが僚友の仇を討つべく〈WB〉隊へ攻撃を仕掛けたという挿話にも、頷くべきところを見出せる。

 余談であるが、《黒い三違星》は《ジオンの三連星》とも一部で呼ぱれていた。
 《黒い三連星》は、もっぱら初期においては連邦側での異名であり、公国側ではこちらのほうが用いられていたようだ。
 現在では《黒い三連星》の呼び名のほうが一般的であるため、それに倣った。




サイラス・ロック(公国軍)
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 地球方直軍第4地上機動師団所属。
 MS‐07に搭乗し、東南アジアでの制圧地区拡大に尽力した。
 彼が機体に施した〈グフレディ〉のパーソナル・エンブレムを有名にしたのは、特に対戦車戦闘であり、連邦側も彼の能カには高い評価を与えざるを得なかったという。
 終戦直前には中尉として活躍していたが、連邦側の投入したMSとの戦闘中に行方不明となっている。




サラサ・ラシン=エクスィ・ブレ隊(公国軍)
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 《赤い彗星》のシャア・アズナブルや、《真紅の稲妻》のジョニー・ライデンなどとならび評され、公国軍、連邦軍の両軍の将兵から《蒼い閃光》のサラサと、呼称された公国軍のトップ・エースの一人である。
 サラサ・ラシンは、U.C.0057年、サイド3に生まれ、開戦直前は、公国軍の兵器開発企業『ZIONIC社』の開発技術者であると同時に、MSのテスト・パイロットであった。
 兵器開発の視察に訪れた公国軍特務遊撃大隊を指揮するシャン・カミル大佐に、その操縦技術の高さを認められ、技術者兼任のまま、正規のMSパイロットとして、大佐の隊へ配属された。
 開戦当初の一週間戦争においては、MS-06CザクUを駆り、連邦軍の宇宙戦艦と宇宙巡洋艦を数隻撃沈。
 ルウム戦役においては、前の戦績を買われ、MS−06Sを与えられ、それを自身でカスタム化。それを駆ってマゼラン級宇宙戦艦2隻とサラミス級宇宙巡洋艦2隻を撃沈し、一気にエース・パイロットの名を得た。
 彼の乗機は、すべて、機体をブルーとブラックに塗装しカスタム化された機体であり、そのすべての機体の改良には技術者であるサラサ・ラシン自身が携わったといわれている。
 (ブルーは、サラサ・ラシンのパーソナル・カラーであった。)
 しかし、サラサ・ラシンは他のトップ・エースに比して、その情報は現存するものがあまりにも少なく、その実像を正確に捉えることはむずかしいとされている。
 その理由として挙げられるのは、サラサ・ラシンの所属していたシャン・カミル大佐率いる特務遊撃大隊がもともと表に出ないような任務を主にこなしており、公国軍内においては大佐の名は多く知られているにもかかわらず、連邦軍側にはその名を知るものはわずかであったといわれる。
 そのような隊に所属し、さらに、その中で特別な任務を任されていたサラサ・ラシンの名は、ほとんど、広まることはなかったようである。
しかしながら、サラサ・ラシンの戦闘を一度目にしたものは、その光景を忘れることができないほどの印象を受け、そんななか、徐々に蒼いMSに乗り宇宙を駆けるサラサ・ラシンの姿をたとえ、《蒼い閃光のサラサ》と呼称されるようになった。
 その後、YMS-07Tp、MSM-07Esと乗り継ぎ、MS-09R-Uiを乗機としている頃、シャン・カミル大佐の立案により、MS精鋭部隊〈エクスィ・ブレ隊〉を結成、その隊長に任命されている。
 〈エクスィ・ブレ隊〉は、サラサ・ラシンを含め、6名で構成されており(異説には、5名という説もあるが、隊の名にある「エクスィ」はギリシャ語の「6」を示すものとみられ、そのことから5名という説は信憑性にかける。)
 配備されたMSは、6機のMS-09R-U(リック・ドムU)であった。それらはすべてサラサ・ラシンのパーソナル・カラーであるブルーをベースとするカラーリングを施され、別名《蒼い悪魔》と恐れられた。
 〈エクスィ・ブレ隊〉は、ソロモン攻防戦において、かなりの数のMSと艦船を撃沈したといわれたが、一年戦争最大の攻防戦であるア・バオア・クー攻 防戦において、サラサ・ラシンはMS-14JG(ゲルググ・イェーガー)に搭乗、他の隊員は、MS-14JGとMS-14A(ゲルググ)に搭乗し、連邦軍勢力に激しく応戦した。
 その戦いにおいて〈エクスィ・ブレ隊〉は4名の隊員を乗機と共に失い、サラサ・ラシンは残る1名の隊員と共に最後まで戦ったが、その後は共に行方不明となっている。
 また、ア・バオア・クー攻防戦においては、〈エクスィ・ブレ隊〉は合わせて数十機のMSを撃沈、艦船も7隻撃沈している。
 サラサ・ラシン個人の撃墜数は、資料に残るものはないが、一説にはMS200機を裕に超すとされるものもある。


階級(終戦時):中尉 年齢:29歳 性別:男



シーマ・ガラハウ(公国軍)     →BACK

 我々がシーマ・ガラハウを最も鮮明に記憶しているのは、『星の屑作戦』実行のためにエギーユ・デラーズが艦隊指揮官として召集したジオンの元佐官としてではないだろうか。
 一年戦争時はその卓越した艦隊指揮能力とMSパイロットとしての技量で知られていたが、戦後は無頼の徒となって生きる道を選んでおり、民間船を襲うなどの海賊行為で生き延びていた。
 そうした志の欠如した生き様ゆえにアナベル・ガトーからは毛嫌いされていたが、別働隊の指揮官がどうしても必要だったデラーズは彼女をあえて登用し、結果的にこの決断が裏目に出て、シーマの連邦への裏切りを許すこととなる。
 もっとも、戦争がおわって3年も経つ中でいまだに理想を唱える彼らの方が、どちらかといえば浮世ばなれした存在であり、飽くまでエゴイスティックに自分のために戦うシーマのほうが「戦後的価値観」を代表しているのだともいえるだろう。

 このシーマ・ガラハウが実質的に指揮を執っていた通称『シーマ艦隊』とは、公国軍突撃機動軍所属の海兵艦隊であり、正式にはシーマ海兵上陸部隊である。
 シーマ艦隊という呼称は通り名に過ぎない。
 公国軍は一年戦争直前に無数の急造艦隊を編成したが、シーマ艦隊もこの1つである。
 急造の艦隊の多くは戸籍すらまともにない者たちや、開戦直前に入国した他のサイドの人間たちによって編成された(後者は一般に「外人部隊」と呼称される。)
  彼らの多くは特殊任務に従事した。
 これは、戦後処理の際、政治的責任を逃れるための判断と見られている。
 彼らの作戦行為が問題となった場合、末端の独徒として容易に切り捨て得たのである。
 シーマ艦隊は「愚連隊」と表現されることが多い。
 しかし、これは戦後、彼らが海賊行為を働いていたためぱかりではない。
 急造の艦隊であった海兵上陸戦闘部隊は公国の3バンチ、マハルより、半ぱ強制的に集められた者たちで構成されていた。
 彼らは「ならず者」であり、多くはコロニー公社からの建設や補修を下請けしていた男たちで、公国に対する戸籍登録さえ満足にできない状態であったという。

 艦隊司令はもともと、アサクラ大佐であったが、彼は特殊任務に就くことを嫌い、遥仕という形で本国において任命のみを受けていた。
 実質的な指揮は司令代行として赴任したシーマ・ガラハウ中佐が行い、これによって艦隊は「シーマ艦隊」の通り名で呼ぱれることとなった。

 シーマ艦隊は緒戦の一週間戦争ではコロニーへのGGガス注入を行った。
 これは最初にして、最悪の特殊任務であったといえよう。
 このとき、司令代行であった彼女はもちろん、注入にあたった部隊員たちもこのガスが致死性の高い毒物であることを知らされていなかった。
 この作戦の後、シーマ艦隊は海兵として各地を休む間もなく転戦したという。
 これは、上官であったアサクラ大佐が口封じのため、常にこの艦隊を過酷な任務に就かせたためであると思われる。
 (表に出ない多数の汚れ仕事を、この艦隊は担ったともいわれる)

 実際に、終戦直後、カラマ・ポイントへ集結した公国軍残党の中に、シーマ艦隊の姿もあったが、彼らは上官であったアサクラ大佐によってアクシス行きを禁じられ、地球圏へ取り残されることとなった。
 このとき、アサクラ大佐は特殊任務が公国本国からのものであったことを否定、すでに戦死していたキシリア・ザビ少将の独断であった可能性さえ示唆した(アサクラ大佐はソーラ・レイ・システムの技術顧問として名を知られる人物と同一人物である。彼は突撃機動軍の所属であったにもかかわらず、キシリア・ザビ少将の下につくことを厭い、ギレン・ザビ総帥に協力したものと思われる。ただ、特殊任務の発案と実施責任については今なお、不透明なものであり、外人部隊の投入等にギレン・ザピ総帥が積極的であったとする説もある。アサクラ大佐が当初より突撃機動軍に身を置きながらもギレン・ザビ派であったとする意見があるのはこの点による)。
 アサクラ大佐は自己の保身のため、シーマ艦隊に責任のすべてを転嫁したといってもよい。

 シーマ艦隊はカラマ・ポイントでエギーユ・デラースが艦隊を統合する直前、単独で離脱しているが、この理由は長く判然としなかった。
 シーマ艦隊が「ならず者」の集まりであったため、独断での行動を選んだとする見方がもっぱらであった。
 (アサクラ大佐による追放は現在では定説となっているため、ここに記した)>

 シーマ艦隊は一年戦争終結後は海賊行為を中心に潜動した。
 0083年のデラーズ紛争参加時には、ザンジバルU級機動巡洋艦(リリー・マルレーン)を旗艦とし、ムサイ級軽巡洋艦後期型7隻にMS30機(シーマ・ガラハウ中佐の搭乗するMS‐14Fs以外はすべてMS‐14FゲルググマリーネM)という陣客であった(これは概数であり、正確な数宇は判明していない。また、シーマ艦隊のムサイ級後期型は茶色に塗られていた)。
 他の公国軍残覚同様、補給や修理の状況は厳しかったようで、(リリー・マルレーン〉もデラーズ紛争への参加時には機関部を中心に不調を訴えることが多かったといわれる。
 ただし、シーマ・ガラハウ中佐は戦後、アナハイム・エレクトロニクス社や連邦軍内部にパイプを確保していた点で、他の公国軍残党より補給面に関しての状況は悪くなかった。
 前者はオサリバン常務との裏取引に、後者は戦犯容疑による追跡を数年にわたり巧みに逃げおおせたことにその一端を見ることができる。
 (シーマ艦隊は戦争犯罪容疑に問われていた。その内容は主にコロニーへのGGガス注入と思われるが、シーーマ艦隊の戦犯容疑一覧の検索、戦後の行動等についての検索は軍当局のデータベースにおいても閲覧許可を得ることができなかた。) 
 これらが戦後、独立の艦隊としての行動を可能にした要因である。

 シーマ・ガラハウ中佐は一年戦争時の経験から、人間が主義主張よりも利益によって動くものであるという教訓を得ていた
 。したがって、彼女は利益のためなら、余人を裏切ることに、なんら躊躇いを覚えなかった。
 ただ、この教訓は一年戦争で辛苦を共にした艦隊の部下たちには適用されなかったものらしい。
 彼女は艦隊の面々からは非常に慕われていたといわれ、艦隊の内部のみに限るなら、デラース・フリートのアナベル・ガトー少佐が将兵から得た人望に匹敵していたといっても過言ではない。

 しかし、これはあくまでも艦隊の内部、身内でのものであり、外からの評価は極めて低かった。
 特に、アナベル・ガトー少佐は彼女を激しく嫌悪した。
 シーマ艦隊は0083年のデラーズ紛争において、エギーユ・デラーズより9月の段階で参加をよびかけられている。
 だが、このとき、アナベル・ガトー少佐の反対によって参加が流れることになったのは有名な話である。
 エギーユ・デラーズは作戦完遂のためにはシーマ艦隊の参加が不可欠と考え、この翌月、アナベル・ガトー少佐の地球降下中に参加を再度、打診。シーーマ艦隊の合流が成立することとなった。

 エギーユ・デラーズはこのとき、シーマ・ガラハウ中佐へ次のように語ったといわれる。
 「『この作戦は必ずや散り散りとなったスペースノイドの心を、再び一つとなすであろう。また、過去の様々な固執も霧散して……』『固執?』と、ガラハウは問い返した。『中佐は突撃機動軍の麾下であった。わしはシーマ艦隊にかつて何があったのか、知らぬがな・・・・・・。』デラーズの言葉は意味ありげで、どこか奥歯にものの詰った雰囲気を漂わせていた。
ガラハウは、この男の言葉に脅しめいたものを感じたものだろうか。じっと押し黙っていた。
 『共に事をなし、共にアクシズへ向かおう』その申し出に、ガラハウは『はっ』と返答した。
 デラーズは目を細め、『そなた、いつまでも蜂蜻のようでは成り立つまい。』と、言った。

 エギーユ・デラーズはシーマ艦隊の特殊任務について正確なところは知らなかったと思われる。
 これは、この艦隊がアクシズへ行かなかったのではなく、いけなかったという事実を彼が知らなかったことからも導かれる。
 しかし、具体的なところはともあれ、この艦隊がどのような任務についていたか、おおよその想像はしていたと思える。
 先に記したやりとりに、単にエギーユ・デラーズがギレン派だったこと以上の意味が籠められているようにも感じられる。

 シーマ・ガラハウ中佐はエギーユ・デラーズの寛大さに、鼻持ちならぬものを内心、覚えていたのだろう。
 彼女の擁する艦隊戦力のみならず、アナハイム・エレクトロニクス社のオサリバン常務と裏取引をしていることに、エギーユ・デラーズが利用価値を見出していると思ったのは、まず間違いない。
 しかも、彼女に与えられたのは汚れ仕事であった。

 開始された星の屑作戦の主行動をシーマ艦隊は担うこととなったが、これは移送中のコロニー奪取という作戦行動であった。
 彼女は作戦遂行の際、「コロニーを扱わせりゃ、シーマ艦隊の右に出るものなんかあるものか」とつぶやいたともいわれるが、その内心には複雑なものがあったらしい。
 コロニーの護送にあたっていたコロニー公社の監視船を襲撃した際、制止を呼びかける公社員へ彼女はこう洩らしたといわれる。
 「おめでたいねぇ、そんな奇麗事が通ると思ってんだから。でもな、人は正義を口にした瞬問から正義じやなくなるのさ。あんたたちを裏側にひっくり返しや、あたしたちさ。」 

 間接的にコロニー奪取を命じたエギーユ・デラーズヘ語りかけているとさえ思える言葉である。
 彼女は星の屑作戦の最中、デラーズ・フリートを裏切り、総帥のエギーユ・テラーズを連邦へ売り渡すべく謀叛した。
 この決意はどうやら参加時からのものであっったらしい。
 売り渡しの相手は、当初、グリーン・ワイアット大将が予定されていたと思わしいが、これは索敵攻撃部隊の〈アルビオン〉隊の予期せぬ妨害によって流れることとなった。
 観艦式襲撃事件でのグリーン・ワイアット大将の死亡を受け、シーマ・ガラハウ中佐は裏取引の相手をジーン・コリニー大将にかえている。
 (どの時点で取引相手の変更がなされたものかは、ふめいである。グリーン・ワイアット大将とジーン・コネリー大将の両方にアプローチしていたとも考えられる。
 ただし、その場合にはジーン・コリニー大将は観艦式襲撃を知りながら看過したことになり、間接的にグリーン・ワイアット大将を謀殺したといえよう)。
 一年戦争終結後、シーマ艦隊が連邦軍内部に強いコネクションを持っていたことを教える事実である。

 ジーン・コリニー大将との取引では、シーマ艦隊の面々はどうやら地球の居住権を報馴として約束されていた節がある。
 シーマ・ガラハウ中佐は先に記したように、エギーユ・デラーズに「蜂蜻」と形容されたが、その生き物を実際に、地球で目にしてみせるといい放ったともいう。
 ただ、この報酬をジーン・コリニー大将が約束通りに支払おうと考えていたかといえぱ、甚だ疑間である。
 デラーズ紛争後、彼の一派はティターンズを興し、スペースノイドの弾圧に手段を選ぱなかった。 
 ティターンズはコロニーへの毒ガス注入さえも行ったのである。
 シーマ艦隊が一年戦争時同様の運命をデラーズ紛争終結後に辿る可能性は、きわめて高かった。

> シーマ・ガラハウ中佐はコロニーが阻止限界点へ向かいつつある12日17時15分、謀叛。
 デラーズ・フリートの旗艦となっていたグワジン級大型戦艦〈グワデン〉のブリッジを副官のデトローフ・コッセル大尉他、数名の部下とともに制圧した。
 エギーユ・デラーズは彼女の裏切りを想定してはいたものの、よもやこの段階に至って事を起こすとは考えてもいなかった。
 シーマ艦隊が謀叛するならば、コロニーの奪取より先と目していたのである(しかし、連邦側はコロニー破壊のための切り札であるソーラ・システムUを用意していたため、この段階での謀叛で、なんら問題を生じなかった)。
 コロニーの阻止限界点突破後に彼女は〈グワデン〉より全軍に戦闘中止の命令を発したが、不審に感じたアナベル・ガトー少佐が〈グワデン〉ブリッジへ接近、謀叛は露見することとなった。

 エギーユ・デラーズはシーマ・ガラハウ中佐に銃を向けられながらも作戦の続行をアナベル・ガトー少佐へ指示、激昂した中佐は20時15分、エギーユ・デラーズを射殺した。
 この光景を目のあたりにしたアナベル・ガトー少佐は乗機AMA‐X2ノイ工・ジールでブリッジを攻撃、シーマ・ガラハウ中佐らを誅殺せんと試みた。
しかし、すんでのところでシーマ・ガラハウ中佐はブリッジを脱出、AGX‐04ガーベラ・テトラで〈グワデン〉を撃沈している。

 デラーズ・フリートヘ発せられた戦闘中止命令によって、阻止限界点の先でソーラ・システム>Uを展開しつつあった連邦軍地球軌道艦隊はシーマ艦隊謀叛を確認した。
 第1地球軌道艦隊司令代行バスク・オム大佐は乗艦のサラミス改級宇宙巡洋艦〈マダガスカル〉より全軍へ向け、シーマ艦隊とともにソーラ・システムU防衛を行うよう命令を発した。
 だが、索敵攻撃部隊〈アルピオン〉隊所属のRX‐78GPO3ガンダム試作3号機のパイロツト、コウ・ウラキ中尉(戦時階級)は命令を拒否。  
 コロ二一を追跡し、行く手を遮るシーマ艦隊にも攻撃を仕掛けた。

 シーマ艦隊とコウ・ウラキ中尉の間には因縁めいたものが存在していたという。
 コロニー・ジャックに先立って、トリントン基地より強奪されたRX‐78GP02Aガンダム試作2号機を追跡した〈アルピオン〉隊は10月31日、シーマ艦隊と遭遇している。
 このとき、コウ・ウラキ少尉(当時)は地上装備のRX‐78GPO1ガンダム試作1号機でシーマ・ガラハウ中佐のMS‐14Fsと交戦、機体を大破させられていた。
 さらに、11月8日の〈バーミンガム〉救出戦においてはシーマ機の攻撃が原因でコウ・ウラキ少尉の上官、サウス・バニング大尉の乗機RGM‐79Nジム・カスタムが爆発、大尉はこれにより戦死している
 (シーマ・ガラハウ中佐は艦隊司令ではあったものの、自らMSで出撃することが多かった。
 この点が艦隊の「ならず者」たちの人望を集める要因でもあったのだろう。
 彼女は自機に「マリーネ・ライター」の名を与えていた)。
 とはいえ、阻止限界点周辺での戦闘でコウ・ウラキ中尉がシーマ・ガラハウ中佐の機体をサウス・バニング大尉の仇と認識し得たかについては疑問が残る。
 このとき、シーマ・ガラハウ中佐が搭乗していたのはAGX‐04であり、先の交戦時の機体とは異なっている。

 AGX‐04はシーマ・ガラハウ中佐がオサリバン常務との裏取引によって得た機体であった。
 この取引は観艦式襲撃とコロニー・ジヤックに先立って、11月3日から4日にかけてフォン・ブラウン市に滞在した際、行われたものと見られている
 (彼女はこのとき、民間船を偽装して入港しているものの、資源搬入港に通されたことに連邦軍の待ち伏せが可能な点を指摘し、不快の念を表明。
 オサリバン常務へ月へのコロニー落としを冗談めかしながら示唆したとされる)。
 なお、この滞在中にシーマ・ガラハウ中佐はケリイ・レスナー大尉に接触、大尉のデラーズ・フリート参加を促した。
 もっとも、中佐が欲したのはケリィ・レズナー大尉が修理中のMA、MA‐06ヴァル・ヴァロであり、支度金の受け渡しに現れた中佐の部下、クルト中尉がこれを洩らしたことから、ケリィ・レズナー大尉によるフオン・ブラウン市郊外でのテロ事件が起こることとなった。

 RX‐78GP03のコウ・ウラキ中尉がAGX‐04に遭遇するのは初めてであった。
 彼はAGX‐04の着艦しようとした(リリー・マルレーン)をメガ・ビーム砲で撃沈((リリ一・マルレーン〉はこのとき、不用意にもガイド・ピーコンをAGX‐04に対して発信していた。
R X‐78GP03による撃沈はこの艦が「的」になった結果である)、直後に艦隊所属のムサイ級軽巡洋艦後期型をも爆導索で撃沈している。
 シーマ・ガラハウ中佐は次々に撃破される部下たちの姿に激昂、RX‐78GP03と交戦するが、メガ・ビーム砲基部にコクピツトを貫かれ、この発射によって機体ともども四散した。 
11月12日22時41分―彼女の戦死を以て、シーマ艦隊は全滅している。

 エギーユ・デラーズはシーマ・ガラハウ中佐を蜂蜻と評した。
 公同の栄光を離れ、あてどなく宇宙を彷徨うさまをそのように感じたものだろう。
 だが皮肉にもこの形容は彼女の人生そのものを象徴することとなった。
 蜂蜻は成虫となってわずか数日でその生を終える。
 シーマ・ガラハウ中佐は(グワデン)を制圧し、エギーユ・デラーズの身柄を拘東したとき、人生の勝利を確信した。
 彼女はシーマ艦隊を顎でこきゆかってきた、公国本国でのうのうと生きてきた者を、この時見返すことができたと思った。
 エギーユ・デラーズたちの口にする「ジオンの栄光」の陰で汚れ仕事を引き受けてきた自分が、この瞬間に表舞台に立ったのである。
 17時15分の(グワデン)制圧から20時15分のAMA−X2によるブリッジ破壊までの3時間―これこそ蜂蜻が成虫として羽ぱたき得た時間であった。




ジェラルド・サカイ(公国軍)
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 U.C.0049年、サイド3生まれ。
 0073年、国軍へ入隊、予備パイロットとして訓練を受けた。
 その後、第1次編制のMS機動部隊に配属され、突撃機動軍の一員となった。
 ルウム戦役時に戦場任官で少尉に昇進。
 MS‐06FザクUF型、MS‐09Rリック・ドムを乗機とし、工一ス・パイロットの一人と数えられた。
 しかし、学生時代には工学を専攻していたこともあり、技術への造詣が深く、このことからグラナダへ転属、技術士官となっている。
 一年戦争末期にはエ一ス・パイロットとしての実績から、ニュータイプ部隊として編制された〈キマイラ〉隊へ配属、前線へ赴くこととなった。
 このときの乗機はMS‐14Cゲルググ・キャノンであり、彼はア・バオア・クー攻防戦に参加後、本国防衛のために後退。
 ここで終戦を迎えている。
 軍籍番号はPM0492378642A。




シム・ガルフ(Chim.Gulff)=エクスィ・ブレ隊(ジオン公国軍)
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連邦軍のソロモン攻略作戦の前に入隊したエクスィ・ブレ隊において最年長である彼は、常に冷静沈着で戦場における洞察力に優れたパイロットである。エクスィ・ブレ隊へ配属される前はハイド・ネィクトゥと同じ部隊に所属し、共に戦っていた。そして、その戦果はハイドと共にすばらしいものがあり、2人はニュータイプではないかと噂されるほどであった。それが上層部へ知られ、その後に結成される予定のニュータイプ部隊への配属がきまっていた。(このニュータイプ部隊の結成は、さまざまな経緯により終戦間際まで延ばされ、そしてア・バオア・クー決戦において『キマイラ隊』という名で戦場へと駆り出された。隊長はジョニー・ライデン大佐) しかし、シム・ガルフはその誘いを断り、自らエクスィ・ブレ隊への入隊を志願したといわれている。入隊後は、隊長であるサラサ・ラシンのよき補佐として、陰ながら隊の調和をとっていた。MS6機編成のエクスィ・ブレ隊は作戦によっては3機ずつ2個小隊として行動することもしばしばあり、その際、シム・ガルフは2番隊の隊長として任務をこなすこととなった。エクスィ・ブレ隊へ入隊する前からのつきあいであるハイド・ネィクトゥとのコンビネーションは絶妙であり、彼ら2人だけでもかなりの戦果を期待できたが、エクスィ・ブレ隊に入りサラサ・ラシンとともに作戦へ参加するようになってからの2人の攻撃力はさらに増したといわれている。

階級(終戦時):少尉 年齢:32歳 性別:男



シャア・アズナブル(公国軍)     →BACK

 シャア・アズナブルの不幸は、彼が一流の見識を持ちながら、二流の才能しか持ち合わせていなかった点にある。
 一流の才能を持つ者が二流の見識しかもたないことは不幸ではない。
 なぜなら、自己の行動の模範となるのは見識にほかならないからである。
 二流の見識にしたがって行使される才能に、彼らはなんらもどかしさをおぼえることはない。
 一流の見識を持つ者が自己の才能が二流でしかないことを認識し、なおかつ、他者より一流たらんことを求められ、それに応えよと見識が訴える時、 心中がいかに苦渋に満ちたものとなるかは、容易に想像がつきよう。
 シャア・アズナブルはまさしく、一年戦争の末期からシャアの叛乱に至る後半生、魂に地獄を抱えて生きたのである。
 ここでいう才能とは、ニュータイプとしての才能である。

> 彼は0059年、共和国宣言を行って間もないサイド3で、ジオン・ダイクンの長男として生まれた。
 誕生月日については11月17日とするものが一般的であるが、9月27日であったとする説もある(余談であるが、血液型はAB型であった)。
 このときの名前はキャスバル・レム・ダイクン。
 妹に0062年生まれのアルテイシア・ソム・ダイクンがいる。

 0068年のジオン・ダイクンの病死後、共和国の実権を握ったザビ家と親ジオン・ダイクン派の抗争が激化するなか、ジオン・ダイクンの共闘者であったジンバ・ラルの手によって兄妹は地球へ逃れた。
 この時、ザビ家による追跡を逃れるため、ジンバ・ラルは彼に「エドワウ・マス」、妹に「セイラ・マス」の名を持たせ、ジオン・ダイクンの子であることを隠した。

 ジンバ・ラルはニランパ・ラルの父としても知られるが、公国に軍人として残ったランバ・ラルと異なり、生粋の親ジオン・ダイクン派であることを死ぬまで棄てようとはしなかった。
 ジンバ・ラルは幼い兄妹にジオン・ダイクンの死がデギン・ザビの陰謀によるものといいきかせ続けたという。
 ジンバ・ラルの幼い自分への教育についてキヤスバル・ダイクンは後年、思うところがあったのであろう。
 アクシズで公国軍残党の主張をそのままに口にするミネバ・ザビを哀れみ、彼女を教育したハマーン・力一ンを激しく非難している。

 ジンバ・ラルの死後の0075年、キヤスバル・ダイクンは出奔、公国へと入国した。
 これはジンバ・ラルによって吹き込まれた父の仇を討ちたいがための行動であった。
 キャスバル・ダイクンは同年、シヤア・アズナブルとしてハイスクールから士官学校へ入学している。
 このとき、同級生だったのがザビ家のザビ家の末子、ガルマ・ザビである。

 シャア・アズナブルの名を、キャスバル・ダイクンがいかにして手に入れたかについては諸説あり、定説を見ない。
 一説には同名の人物がおり、これになりかわって公国の国籍を入手したとするもの、また、一説にはマス家より公国入国の折、アズナブル家へ入籍したとするものがある。

 我々の今日知る、若き目のシャア・アズナブルは目許を隠すマスクを着用している。
 これは一年戦争当時、顔に火傷があるためといわれていた。
 ただし、士官学校時代にはマスクを着けてはおらず、顔を隠すようになったのは軍へ入ってからであった。
 (一説には、キシリア・ザビは弟ガルマ・ザピの友人であったシャア・アズナブルの士官学校時代のピデオを見ていたが、その正体に気づくことはなかったという。
 キシリア・ザピは4歳当時のキャスバル・ダイクンをあやしたこともあるが、シャア・アズナブルとキャスバル・ダイクンのイメージがあまりに違いすぎることから、両者を結び付けることはなかった。
 ただし、シャア・アズナブルが地球からの流れ者であることは軍内部でも広く知られた経歴であった)
 1年半後の77年、戦時特例法によって士官学校を繰り上げ卒業。このとき、シャア・アズナブルは首席であった。

 卒業後、シャア・アズナブルは軍へ入り、教導機動大隊へ配属。
公国章の新兵器MSのパイロツトとして練成を受けた。
 その後、宇宙攻撃軍へ配属、開戦時には第6機動大隊に所属した。
 一週間戦争での乗機はMS‐06CザクlUC型、階級は中尉であった。
 続くルウム戦役では一週間戦争で一定の戦果を挙げたことを見込まれ、MS‐06SザクUS型を与えられていた。
 (一週間戦争の段階でMS‐06Sであったとする説もアリ)
 彼はこの機体を赤く塗装し、高速一撃離脱戦法によって5隻の戦艦を撃沈した。
 この戦果により、彼は2階級特進、少佐となった。
 (一週間戦争直後に少佐に昇進したとする説もアリ)

 ルウム戦役での彼の高速一撃離脱戦法は「五般跳び」 (この時点での階級を少佐とする説によれぱ、「アズナブル少佐の五般跳び」)と呼ばれている。
 彼は最初のマゼラン級宇宙戦艦を撃沈直後にこの艦体を蹴り、同時にスラスターを全開にして次の艦へ跳び、これを繰り返すことで瞬時に5隻の戦艦を撃沈したのである。
 連邦軍には開戦当時MSが存在しなかったため、5隻の艦艇を撃沈したシップス・エ一スがそのままエ一ス・パイロットの称号であった。
 となれぱ、彼はわずか1度の攻撃でエ一ス・パイロツトの座を射止めたわけである。
 連邦軍の将兵が後に赤く塗装された機体を目にしただけで逃げ出したという逸話も、この戦果を考えれば、あながち誇大なものとは思えない。

 彼の乗機、MS>‐06Sは通常の3借のスピードを有したといわれるが、実際のところ、MS06Sの推カは一般に広く運用されていたMS‐06FザクllF型の2割から3割増しにすぎず、3倍という表現は「五般跳び」に代表される彼の操縦技術と、連邦軍将兵に伝播した恐怖心の生み出したものであった。
 彼の乗機が3倍の速度といわれた理由としては、今日、次のような仮説を以て説明する人もある。
 シャア・アズナブルは自覚的ではなかったにせよ、一年戦争初期よりニュータイプとして優れた能力を発揮していたとし、ここに根拠を求めようとする説である。
 シャア・アズナブルはニュータイプ特有の先読みの能カで敵機(敵艦)の到達点を予測し、最短の軌道でこれに接触することができた。
 この動きが敵側から計測された場合、通常パイロットの3倍にも匹敵したというのである。
 とはいえ、この高速一撃離脱戦法と、赤く塗装された乗機より、シヤア・アズナブルは《赤い彗星》の異名を取ることとなった。
 (この塗装は厳密には「赤」ではなく、ピンクに近い赤であった)
 これが連邦軍より与えられたものなのか、それとも公国軍内部より出たものなのかは判然としない。
 ただ、双方の将兵がエ一ス・パイロットとしてのシャア・アズナブルを語るとき、《赤い彗星》、或いは「《赤い彗星》のシヤア」と呼んでいた。

 乗機のカラーリングのみならず、シャア・アズナブルは軍服をも赤いものとしていた。
 公国軍においては尉官以上に特別な軍服の着用が認められていたことはよく知られているが、彼ほど派手なものを着用していた人物は他に類例を見ない。
 この軍服と特異なマスクがその戦果と相まって、彼は公国軍内でひときわ注目を集めることとなった。
 また、彼のノーマルスーツも同系色でまとめられていた。
 ただし、これを着用することは少なく、特にMSに搭乗する際、ノーマルスーツ着用でコクピツトへ入ったことは一度としてなかった。
 このことに〈マッド・アングラー〉隊へ配属以降に副官となったマリガン中尉からノーマルスーツの着用を求められた折、次のように答えている。
 「私はモビルスーツに乗っても必ず帰ってくる主義なのだよ。
 死にたくない一心でな。だから戦闘服だのノーマルスーツなどは着ないのだよ」

 一週間戦争とルウム戦役での戦果により、宇宙攻撃軍司令ドスル・ザビ中将はシャア・アズナフルに高い評価と信頼を与えた。
 一説によれば、シャア・アズナブルが一年戦争中期以降、乗艦としていたムサイ級軽巡洋艦〈ファルメル〉はドズル・ザビ中将が自らの乗機としていたものを贈与したものであるともいわれている。

 彼の運命が大きく転回するのは、開戦より、9ヶ月経過した9月18目であった。
 ゲリラ掃討作戦終了後、〈ファルメル〉でソロモンへ帰投中のシャア・アズナブルは、噂されていた連邦軍のV作戦に遭遇した。
 連邦軍の新造艦〈WB〉を発見し、これを追尾、部下が連邦軍のMS「ガンダム」とコロニー内で戦闘、撃破されたのである。
 シャア・アズナブルはV作戦の詳細を自らの目で確認すべくコロニー内へ潜入、ここで偶然にも妹セイラ・マスこと、アルテイシア・ダイクンと4年ぶりに再会した。
 彼女はサイド7へ移民し、看護学生として暮らしていたのである。
 ただし、このときはお互いに肉親と認め合うまでの会話は交わされず、ただ数奇な再会に驚くばかりであったという。
 この直後、シャア・アズナブルはコロニーを脱出、出港した〈WB〉警護にあたるRX‐78‐2ガンダムとMS-06Sで交戦した。
 RX‐78−2のパイロツトは実戦経験が2度目という民間人の少年、アムロ・レイであったが、シャア・アズナブルは連邦軍のMSの絶大な性能の前に苦戦し、後退を余儀なくされた。
 シャア・アズナブルはそのまま、〈WB〉追撃を行い、大気圏突入時の攻撃をこれに対して敢行するという戦史上特記されるべき作戦まで採用している。
 しかし、〈WB〉とRX‐78−2の想像以上の性能にシャア・アズナブルの試みは、唯一、彼らの降下地点を南米より北米へずらさせた以外はことごとく失敗に終わった。

 地球では、士官学校時代の同期生、ガルマ・ザビに助力した。>
 ガルマ・ザピはキシリア・ザビ少将麾下の突撃機動軍に所属していたが、地球方面軍設立と同時にこの司令となり、大佐として北米方面に展開した軍の指揮を執っていた。
 (ガルマ・ザピ大佐の指揮権の適用範囲については異説アリ)
 シャア・アズナブルはドズル・ザビ中将麾下の宇宙攻撃軍に属していたが、軍の指令系統を越えて協力を行ったわけである。 
 〈WB〉隊との数度の戦閾の後、10月4日、ガルマ・ザビ大佐はこの部隊との戦闘において戦死。
 シャア・アズナブルはこの戦闘に参加しながらも、ガルマ・ザピ大佐を守りきれなかった責任をドズル・ザビ中将より問われ、左遷されたれた。
 (予備役に編入されたとする説のほか、軍籍を剥奪されたとする説もある。)
 この戦闘でのシャア・アズナブルの働きは当時より「《赤い彗星》らしからぬ」動きと評された。
 現在ではガルマ・ザピ大佐の戦死はシャア・アズナブルによる謀殺との見方が定説となっている。
 ただし、当時は一部に不審の念を抱かせたのみでザビ家に恨みがあるのではないかという噂も流れ、ドズル・ザビ中将の主張したようにシャア・アズナブルが無能であったことへ連邦軍の新造艦とMSの絶大な威刀が重なった結果(後に〈WB〉隊は連邦軍のニユータイフ部隊と喧伝された)であると見られた。

 シャア・アズナブルはこの少し前よりサイド6に設立されたニュータイプ研究機関、フラナガン機関と接触を図り、戦災孤児ララア・スンをここへ送り込んでいた。
 キシリア・ザビ少将は一介の士官がニュータイプに注目するという先読みの才能を訝しみ、同時にガルマ・ザビ大佐戦死時の不可解なな行動もあって彼の過去を調査。
 シャア・アズナブルがキャスバル・ダイクンであることを知った。
 彼女はシャア・アズナブルの能力を高く評価し、また、彼が自ジオン・ダイクンの息子であることを政敵ギレンとの将来の対決において利用しようと考えたのであろう。
 左遷されたシャア・アズナブルを突撃機動軍へ迎え、中佐の階級を与えた。
 一般にシャア・アズナブルの軍籍番号としてはPM00571977243Sが知られるが、これは突撃機動軍所属になってからのものである。
 軍籍が剥奪されたという説が正しければ、宇宙攻撃軍所属時代には異なる軍籍番号が与えられていたとする見方もできる。

 11月上旬の段階ではシャア・アズナブルは宇宙におり、彼が戦略海洋諜報部隊の〈マッド・アングラー〉隊隊長として地球へ降下するのは月の半ぱであった。
 (ただし、〈マッド・アングラー〉隊の発足は10月30日、シャア・アズナブルの着任も同日とした資料もある)
 この間、キシリア・ザビ少将は白兵戦用のMSをシヤア・アズナブルへ優先的に回すよう指示している。
 (これに対しキシリア・ザビ麾下の将官は即応は不可能であると進言。
 キシリア・ザビ少将はシャア・アズナブルの〈マッド・アングラー〉隊への着任までに間に合えばよいと答えている。

 〈マッド・アングラー〉隊着任の際、シャア・アズナブルは大佐に昇進した。
 彼は潜水艦と水陸両用MS部隊を用い、大西洋の連邦軍海洋戦カ、補給線の分断に努め、アフリカ戦線の公国軍を側面より支援した。
 自らMSで出撃することもあり、乗機はこれまでと同じように赤く塗装された、MSM-07SスゴックS型であった。
 着任早々、シャア・アズナブルは北アイルランドのベルファスト基地へ入港した〈WB〉を確認。同基地へ攻撃を行なうと同時に艦内にスパイを潜入させることに成功する。
 このスパイからの報告によって〈WB〉の行き先が南米の連邦軍本部ジャブローであると判明。
 シャア・アズナブルはマッド・アングラー級潜水母艦〈マッド・アングラー〉で〈WB〉を追跡。
 11月27日、それまでセ書くな位置が判然としなかったジャブローの入口の発見に成功する。
 シャア・アズナブルの報告に基づき、公国軍はキキャリフォルニア・ベースの戦力を投入し、11月30目、ジャブロー降下作戦を敢行。
 シャア・アズナブル大佐は降下作戦の最中、少数の部下を率い、ジャブロー内へ潜入。
 宇宙船ドック並びにMS工廠の爆破を企図したが失敗している(降下作戦後であったとの異説アリ)。
 また、この潜入時、〈WB〉に軍人として乗艦していたセイラ・マスと偶然にも再会。
 シャア・アズナブルは妹へ軍を抜けるよう求めたという。
 ジャブローでの戦闘において、シャア・アズナブルはRX‐78‐2とおよそ2カ月ぶりに交戦。
 この機体のパイロットの技量が上がっていることを認識させられた。
 このとき、彼はこのパイロットにプレッシャーを感じたが、これがニュータイプ同士の共振によるものとは考えなかったらしい。
 RX‐78‐2のパイロットがニュータイプであることは、すでに公国軍内部でも噂されていたが、シヤア・アズナブル自身は自らがニュータイプだという自覚はなかったのである。
 ジャブロー降下作戦自体も、投入した戦力が少なすぎ、結果として公国軍の敗北に終わった。
 シャア・アズナブルは〈WB〉が予想される宇宙での連邦軍の反攻作戦に参加すると考え、追撃をさらに行うべく、ケープカナベラル宇宙基地よりザンジパル級機動巡洋艦で宇宙へ出た。
 (この時点でシャア・アズナブルには(マッド・アングラー)隊からそのまま副官としてマリガン中尉がついているが、海から宇宙への戦域の移動にあたって、どのような部隊配置の転換が行われたかは明らかではない)
 もっとも、彼は〈WB〉が囮であることをかなり早い段階で見抜いていた。
 この艦を追う形で彼はザンジバル級機動巡洋艦をサイド6のパルダ・ベイに入港させている。
 この直前、彼は「パラロム・ズ・シヤア」なる暗号電文を副官のマリガン中尉へ命じ、キシリア少将宛に打たせている。
 この暗号電文がいかなる意味を有するものかは判然としない。
 一説には「これより目的地に赴き、例のニュータイプを回収する。シヤア・アズナブル」
 という意味であるといわれ、フラナガン機関に預けていたララァ・スンをニュータイプ部隊要員として引き取ることがパルダ・ベイ入港の真意であったとされる。
 (この説を肯定するなら、〈WB〉を追跡してサイド6へ赴いたわけではない。
 サイド6領空への侵入前に、シャア・アズナブルは〈WB〉攻撃のためにソロモンを発したドズル・ザピ中将麾下のコンスコン機動部隊に接触している。
 彼がパルダ・ベイ入港をララァ・スン回収のためとしたのはこのためであるという見方もできよう)

 シャア・アズナブルがフラナガン機関へ早くから接触を持っていたことは先にも記した。
 ガルマ・ザピ大佐謀殺時、彼はすでにララァ・スンとの出会いによつてニユータイプの実在を確信していた。
 彼は後、キシリア・ザピ少将ヘニュータイプの時代の変革があるものならば見てみたいと思ったと語り、その契機となったのはザビ家への復讐の端緒となった、ガルマ・ザピ大佐の謀殺後の虚無感であったと述懐している。
 ここで非常に重要なことは、彼が自らをニュータイプだとは考えていなかったという点である。
 (彼は父であるジオン・ダイクンさえもニュータイブではないと考えていたともいう)
 彼は自分のパイロットとしての戦果をニュータイプ能力によるものとは考えておらず、ニュータイプの時代の変革においては当事者ではなく、傍観者として自らを位置付けようとしていた。
 そのことは「時代の変革を見てみたい」という表現に端的に表れている。
 シャア・アズナブルはララァ・スン、アムロ・レイとの関係の中で自らがニュータイプであることを意識することになったわけだが、これに先立って、テキサス・コロニーで3度目の出会いを果たした妹との会話が彼の立場と志向する方向を教えてくれる。

 サイド6でララァ・スンを回収したシャア・アズナブルはテキサス・コロニーでフラナガン博土らとともに、彼女のテストに立ち会った。
 このとき、テキサス・コロ二一に〈WB〉隊のRX‐78‐2が侵入、シャア・アズナブルは受領したぱかりのYMS‐14ゲルググ先行量産型で交戦している。
 (これに先立ってマ・クペ大佐のYMS‐15ギヤンとRX‐78‐2が交戦、マ・クベ大佐が乗機ともども撃破されたとする説もある。
 また、このテキサス・コロニーでのテストがソロモン攻略戦の後であったとする説もある)
 シャア・アズナブルはこの戦闘で、巧みにピームを回避するRX‐78−2のパイロットの操縦に感嘆。
 敵がニュータイプであることを確信したという。
 シャア・アズナブルがセイラ・マスに出会ったのはこの直後、消息を絶ったRX‐78−2のパイロツト、アムロ・レイの捜索に彼女があたっている際であった。
 シャア・アズナブルは乗機YMS‐14を慣らし運転もせずに使用したため、欄座させており、ザンジバル級機動巡洋艦を停油させている港へ身一つで戻ろうとしているところであったという。

 父の仇を討つといって出奔したにもかかわらず、公国軍の軍人となっている兄を妹は難詰、筋違いであると指弾した。
 「『けど、この戦争で…一いえ、それ以前から人の革新は始まっていると思えるわ』
 『それがわかる人とわからぬ人がいるのだよ』パギーの運転席に座る妹を覗き込み、シャアは語った、
 『だから、オ一ルドタイプは懺滅するのだ』と。
 『でも』セイラは目を逸らした。
 『オールドタイプが二ュータイプを生む土壌になっているのよ』いい募りながら、彼女自身、気づかされるものがあったのだろう。
 再びセイラは兄のほうへと顔を転じた。
 『古きものすべてが悪しきものではないでしよ』
 『それはわかっている』なぜ真意を汲み取ってくれぬのだ、と兄は語っているかのようであった。
 彼は身を乗り出し、『しかしな、アルテイシア』と妹の膝に手を置いた。
 『体制に取り込まれたニュータイプが私の敵となっているのは面白くない。
 それは、私のザビ家打倒を阻むものとなる』
 『アムロはわかっているわ』『アムロ・……?』と一度だけ聞いたことのある名前を眩き、シャアは、ガンダムのパイロットかと問い返した。
 それから、『パイロットでは体制は崩せんよ』とどこか自嘲的に評した。
 『ニュータイプ能力を戦争の道具に使われるだけだ』話を打ち切るかのようにそう断じると、シャアは身を起こし、バギーを離れた。
 兄さん、あなたはなにを考えているの、とセイラは問うた。
 『父の仇を討つ』『嘘でしょう、兄さん』と、言下にセイラは言い返した。
 『兄さんは一人で何かをやろうとしているようだけどニュータイプー人の独善的な世づく利をア売ることはいけないわ』
 『私はそんなにうぬぼれていない』ニュータイプがニュータイプとして生まれ出る道をつくりたいだけだ、と彼は答えた」
  両者の会話が微妙に食い違っていることがわかるだろう。
 兄の独善性を責めるセイラ・マスは明らかに彼をニュータイプと見傲している。
 それに対してシャア・アズナブルは曖味に自らの立脚点をぼかしている。
 このときの会話については異なる内容を紹介する文献もある。
 こちらを信じるなら、シャア・アズナブルの立脚点は非常に明瞭なものとなる。
 いかねそこでのシャア・アズナブルの言葉を掲載したい。
 「ジオンに入国して、ハイスクールから士官学校へ進んだのも…ザピ家に近づきたかったからだ…しかしな…アルテイシア、私だって、それから、少しは大人になった。
 ザビ家を連邦が倒すだけでは、人類の真の平和は得られないと悟ったのだ。
(中略)ニュータイプの発生だ*1。
(中略)そのニュータイプを敵にするのはおもしろくない。
今後は、手段を選べぬ、ということだ。
セイラ・マスは兄のこの言葉に驚き、「ジンバ・ラルは、ニュータイブは人類がかわるぺ理想の型だと言ってくれたわ。
 だったら、ニュータイプを敵に回す必要はないはずよ」とこの告白の真意を問うた。
 これに対してシヤア・アズナブルはただ、「*2 もう、手段は選べぬといった」とだけ応じたという。
 ここでのシャア・アズナブルの発言は、自らをオールドタイプと規定しているし、セイラ・マスもお互いをオールドタイプの一員と見倣している。
 *1の部分で「父はニュータイプの先駆けかもしれんといわれているが…ただの革命家だったと思うな。
 しかしな…今は私たちのまわりに…何人かのニュータイプが現れはじめた。」とするもの、*2の部分で「私自身、ニュータイプでありたいと願っている」と告白したとする資料もある。
 また、シャア・アズナブルはザビ家打倒を口にしているが、これがどの程度本気であったものか、真意はわからない。
 ただ、少なくとも、セイラ・マスが言下に詰問したように、ザピ家打倒は父の敵討ちなどではなかったはずである。
 かといって、ガルマ・ザビ謀殺後に虚無感を覚えたというシャア・アズナブル述懐は(それがキシリア・ザピ少将との会話で出たということもあって)鵜春みにするには抵抗がある。
 彼が打倒せねばならないと感じていたのは、ザビ家という公国の指導層に留まらない。
 「体制に取り込まれたニュータイプ」が「ザピ家打倒を阻む」という台詞は聞き流してしまいがちであるが、よくよく考えてみれば奇異なことに気づくであろう。
 会話の流れからはこのニュータイプとはアムロ・レイだとわかる。
 もちろん、単純に《赤い彗星》としての自分にアムロ・レイが乗機を以て、立ち塞がり、それが問接的にザピ家打倒を邪魔することになるという見方もできる。
 しかし、この一方でシャア・アズナブルの語る「パイロットでは体制は崩せんよ」
 という言葉は、自身へ向けたものでもあると考えられる。
 となれば、体制とはザピ家や連邦といった垣根に捕らわれるものではなく、「人の革新」が始まっていることがわからない「オールドタイプ」によってつくられた社会構造であるといえよう。
 そのように考えれば、キシリア・ザピ少将との共闘と、ア・バオア・クーでの変節としか思えない唐突なザピ家の決意も了解し得る。
 ザビ家を打倒することは、シャア・アズナブルにとって「人の革新」がすみやかに行れる社会を到来させる、
 手段の一つにすぎない。 「私がマスクをしている理由がわかるか。
 私はお前の知るキャスバルではない。シャア・アズナブルだ。過去を捨てた男だ」

  ザビ家への復讐はアルテイシア・ダイクンの知る、キャスバル・ダイクンの目標であった。
 だが、シヤア・アズナブルにとっては目標ではなかった。
 彼は過去ではなく、「人の革新」という未来に興味を持っていた。
 妹との別離後、彼は〈WB〉の出港するゲートにトランクを残していった。
 セイラ・マスヘ宛てた手紙の付されたトランクの中には金塊が入れ込まれており、シャア・アスナブルはこの金塊を用いて妹へ地球へ降りて生活するように求めていたという。
 シャア・アズナブルはテキサス・コロニーでのララァ・スンのテストが良好であったことを受け、ニュータイプの実戦投入部隊である、独立第300戦隊の司令官に任命された。
 ララァ・スンは少尉に任官され、ニュータイプ専用機MAN‐08エルメスを与えられている。
彼女は連邦軍に制圧されたソロモン(コンペイトウ)へ攻撃を敢行。一定の戦果を挙げることとなった。
所謂、《ソロモンの亡霊》である。
 ララァ・スン少尉はこの数日後、RX‐78‐2と交戦中、このパイロットであったアムロ・レイとの間に激しい共振現象を生じ、直後、シャア・アズナブルの乗機YMS-14を庇う形でコクピットをRX‐78-2のビーム・サーベルで貫かれ、戦死した。
 ララァ・スン少尉がシャア・アズナブルの愛人であったことは、現在ではよく知られている。
 もっとも、その愛情が一年戦争時、どの程度のものであったかについては一考せざるを得ない。
 シャア・アズナブルはララァ・スン少尉が戦死することとなった出撃において、部隊の指揮を彼女に委ねたという。
 自分よりもララァ・スン少尉の能力が優れていることを認めたためであった。
 ララァ・スン少尉はこれを受けて、ノーマルスーツの着用をシャア・アズナブルヘ求めた。
 しかし、彼は口では承服していたものの、実際の出撃においては非着用で臨んでいた。
 彼はララァ・スン少尉の求めよりも、己のプライドを優先したのである。

 このときの戦闘で生じた共振現象は、同じ戦場にいたシャア・アズナブルにも感じることができた。
 おそらく、彼はこのとき初めて自分がニュータイプであるという事実に直面したのである。
 このときの交信記録と称されるもののなかでシャア・アズナブルは
 「ララァ、私はガンダムを討ちたい。私を導いてくれ」
 「ララァを離すわけにはいかん」といった言葉を残していたともいわれる。
 この言葉は単にエ一ス・パイロットとして連邦の白いMSを撃破したいという発言と取られがちであるが、シャア・アズナブルがニュータイプとしての自覚を持っているなかったとするなら、事は複雑となる。
 彼はニュータイプである敵パイロットをオールドタイプである自分一人の力では倒せないと考えており、ララァ・スン少尉というニュータイプの存在が傍らにあって初めてニュータイプと伍することができると思っていた。
 となれば、出撃直前に交わしたララァ・スン少尉との約束を反故にし、プライドを優先したシャア・アズナブルが実際に彼女をどの程度想っていたか、察することができよう。

 ニュータイプでないシャア・アズナブルにとって、ララァ・スン少尉はニュータイプと伍していくための切り札であった。
 ここで忘れてはならないのは、シャア・アズナブルが自身を単なるパイロットとしては規定していないことである。
 「体制の道具」として利用されるのではなく、体制を変革することを彼が志していたことは、先に挙げたセイラ・マスとの会話からも明らかである。
 したがって、彼が「ガンダムを討ちたい」というとき、これをエ一ス・パイロツトとしてのプライドによって発せられた言葉として片付けてしまうことは避けねぱならない。
 彼にとって重要なのは「体制の道具」となっているニュータイプを排除することであり、そのためには「手段を選べぬ」のである。
 アムロ・レイはシャア・アズナブルをア・バオア・クーで直接対峙した際、激しく非難したが、それは、シャア・アズナブルがララァ・スン少尉を戦いに巻き込んだという一点に集約されるものであった。
 シャア・アズナブルは後にララァ・スン少尉を評して、自らの母親になり得たかもしれない女性であったと語ったともいわれる。
 だが、この言葉を発したのは彼がよわい齢30歳を越え、ネオ・ジオン総帥となってからであった。
 ララァ・スン少尉が生きていた折、彼がそのような期待を彼女にかけていたとは思えない。
 思い出は常に変質する。
(余談であるが、シヤア・アズナブルの女性関係については、ロリータ・コンプレックスの噂も付きまとっている。
 これはララァ・スン少尉との関係のみならず、アクシズ滞在時の年着いハマーン・カーンとの関係からも口吻に昇るものであった。
 ただ、彼がニュータイプの少女に対してララァ・スン少尉の面影を、常に求めつづけていたという見方も存在する。
 愛人として数えられる女性は10代の少女のみではなく、性的嗜好とは切り離すべきであるというのはきわめて妥当な主張であろう)

 ララァ・スン少尉が戦死し、戦場より後退を余儀なくされたシャア・アズナブルは、コクピットでマスクの下より涙を流し、
 「今の私にはガンダムは倒せん。ララァ、私を導いてくれ」と眩いたとされる。
 彼はこの戦いで自らがニュータイプであったことを初めて認識させられた。
 しかし、同時にそれは自分がRX‐78-2のパイロットにも、ララァ・スンにも及ぱぬ、二流のニュータイブであるという認識でもあった。
 この戦いによって彼は「人の革新」を見るのではなく、そのただ中に自らを置かざるを得ないことを痛感させられた。
 彼は常人よりは上位にありながら、ニュータイプとしては二流という、きわめて中途半端な才能を与えられていたのである。
 《赤い彗星》の異名を与えられた彼の前半生の輝きに比ベ、ニュータイプ、シヤア・アズナブルとしての後半生が華やかさに欠けるのは、この見識と才能のギヤップを突きつけられたからにほかならない。
 このギャップを彼が意識していたことを見逃すと、一年戦争後よりシャアの叛乱(第2次ネオ・ジオン戦争)に至る彼の行動は、不可解そのものとなってしまう。
 彼が自らをニュータイプであると認識したとき、眼前にはアムロ・レイという一年戦争最大のニュータイプが立ちはだかっていた。
 だが、アムロ・レイは一パイロットにすぎず、そのような見方からいえば、二流の見識しか持っていなかった。
 シャア・アズナブルから見て、アムロ・レイという一流のニュータイプは、非常にもどかしい人物であったといえよう。

 ララァ・スン少尉の戦死後、シャア・アズナブルはキシリア・ザビ少将とともにア・バオア・クーヘ到着。
 ここでニュータイプ用の試作MS、MSN‐02ジオングを与えられ、ア・バオア・クー防衛のため出撃した。
 (先の戦闘でYMS‐14は大破していた)
 進攻する連邦軍の中にはRX‐78−2もあり、シャア・アズナブルはMSN‐02でこの機体と相討ちとなることに成功する。
 (また、この戦いでシャア・アズナブルはMSN‐02で戦艦4隻、MS18機を撃破している)
 乗機を脱出したシャア・アズナブルとアムロ・レイはノーマルスーツで戦闘を行った。
 アムロ・レイはア・バオア・クーの司令室へ向かおうとし、これにシャア・アズナブルが立ち塞がったのである。
 「『まっすぐ行けば、ア・バオア・クーの核へ行ける…できるぞ』アムロは独りごちた。
 『そう思える力を与えてくれたのはララァかもしれんのだ』背後から投じられた言葉に、アムロはハッと振り返った。
 『ありがたく思うのだな』『貴様がララァを戦いに引き込んだ』『それが許せんというのなら間違いだな……アムロくん』
 通路の奥に立つ、赤いノーマルスーツの男は呟いた。
 『戦争がなけれぱ、ララァのニュータイプへの目覚めはなかった』
 それは理届だ、とアムロは叫んだ。
 『しかし、正しい物の見方だ』それ以上近づくと撃つぞ―アムロは銃口を向けた。
 シャアは少しも怯まず、ゆっくりと彼のほうへ近づいてくる。
  『君は自分が、いかに危険な人間か、直素にニュータイブの有り様を示しすぎた。』
 『だから…なんだというんだ』戸惑い、アムロは問うた。
 『人は流れに乗ればいい』シャアは足を止めた。
 『だから私は君を殺す』」シャア・アズナブルはたとえ優れたニュータイプであろうとも、身体を使う技は訓練をしなければならないと考え、生身での戦いに持ち込んだ。
 しかし、ア・バオア・クー内の戦争博物館に陳列されたサーベルを利用しての戦いで、アムロ・レイはシャア・アズナブルの剣技に一歩も引けを取らぬ動きを示めた。
 この技量の差を埋めたのはおそらく、アムロ・レイのニュータイプ能力であろう。
 シャア・アズナブルの動きを直感的に予測することができたと考えるのが妥当である。
 我々がよく知るシャア・アズナブルの額の傷はこの戦いでアムロ・レイによってつかられたものである。
 サンバイザーを貫いて刺さったサーベルは、ヘルメットがなけれぱ即死していてもおかしくないほどの威力を持っていた。
 シャア・アズナブルの想像を越えて、アムロ・レイは「危険な人間」であった。
 「『今、ララァがいった……ニュータイプは殺しあう道具ではないって……』
 『今という時では人はニュータイプを殺し合いの道具にしか使えん。 ララァは死にゆく運命だったのだ。』
 『貴様だって……ニュータイプだろうに』シャア・アズナブルとアムロ・レイの立脚点の差異は、この戦いの中で交わされた言葉によって明瞭になっている。
 ララァ・スン少尉が死にゆく運命だったと言い切るシャア・アズナブルの言葉には、自己正当化の匂いを感じることができる。
 アムロ・レイが指弾したように、シャア・アズナブルはララァ・スンを「少尉」として戦争に引き込んだのである。
 だからこそ、このように嘯くシャア・アズナブルヘアムロ・レイは「貴様だって…ニュータイプだろうに」と面罵する。
 自らを問題の局外に置き、傍観者として語る態度を、アムロ・レイは感じたのである。
 しかし、傍観者として関与しはじめたがゆえに、シャア・アズナブルは「正しいものの見方」を主張することができた。
 彼は問題の中心に立つことが、「体制の道具」、或いは大衆の道具として利用されることにつながることを危惧した。
 後にアムロ・レイはシャア・アズナブルを「人の死に乗じた世直ししかできない男」と評したのは、この傍観者的な態度をも含めての非難にほかならない。
 戦争博物館での戦いは、セイイラ・マスの乱入によって中断させられた。
 恨みがあるわけではないアムロ・レイと戦う理由などないのだと、彼女は主張した。
 これに対し、シャア・アズナブルは言下に「ララァを殺された」といってのけたが、セイラ・マスはそのことはアムロ・レイにもいえるのだといい返した。
 「なら、同志になれ。そうすればララァも喜ぶ」シャア・アズナブルは直後、アムロ・レイにそのように求め、「正気か」と訊き返されている。
 シャア・アズナブルにとってアムロ・レイは危険すぎ、野放しにすることはできなかったのである。
 このような言辞を奔するシャア・アズナブルは傲慢である。
 「体制の道具」となるアムロ・レイは危険だか、「同志」であるアムロ・レイは危険ではない。「同志」というのは体のいい表現にすぎず、シャア・アズナブルにとっての「道具」たれとアムロ・レイに求めているのである。
 危険か否かはあくまでも、シャア・アズズナブルの持っている政治的展望においての問題であった。
 アムロ・レイはシャア・アズナブルの申し出に対し、返答を行なうことはなかった。
 この時点でア・バオア・クーが取り付き、白兵戦が始まっていた。彼らのいる区画にも小規模の爆発が生じ、シャア・アズナブルとせイラ・マスの兄妹と、アムロ・レイは離れ離れとなってしまった。

 シャア・アズナブルはキシリア・ザピ少将のア・バオア・クー脱出を掩護に向かおうとしていた兵より聞き、セイラ・マスへ、ザビ家の人間はやはり許せぬとわかった」と、これを討つ旨、宣言した。
 この段階で彼がギレン・ザビの戦死を知っていたか否かについては不明であるが、キシリア・ザピ少将の抹殺には、単にザビ家打倒という意味以上のものがある。
 ザビ家の兄妹では、キシリア・ザビ少将が最もニュータイプに関心を持っていた。
 シャア・アズナブルはニュータイプが「体制の道具」とされることを懸念しており、後々に禍根を残す可能性のあるキシリア・ザビ少将をこの機会に排除しておくことにしたのである。

 彼は後にクロトワ・バジーナの偽名で工ウーゴに身を置いた際、自己の一年戦争の行動を総括し、
 「彼(シャア・アズナブル)は個人的な感情を吐き出すことが事態を突破する上で一番重要なことではないかと感じたのだ。」と、語ったことがある。
 キシリア・ザビ少将の殺害は、事態突破の最たるものであったといえるかもしれない。
 (余談ではあるが、この言葉はグリプス戦役時のニュータイプ、カミーユ・ピダンヘ送られたものであった。
 しかし、カミーユ・・ビダンはクワトロ・バジーナがなにゆえシャア・アズナブルのことをいうか、理解できなかった。
 カミーユ・ビダンが去った後、訝しむ周囲の者へ彼は「俗人はつい自分はこういう人を知っていると言いたくなってしまう、ヤな癖があるのさ…・」と自嘲的に洩らしたという)
 アムロ・レイを同志とナすることはできなかったが、シャア・アズナブルはセイラ・マスヘ向け、次のような意味深な言葉を別れ際に与えている。
 「戦争も忘れろ…いい女になるのだな…アムロくんが呼んでいる」アムロ・レイを野放しにすることが危険であることにかわりはない。
 にもかかわらず、彼はアムロ・レイの存在よりもまず、キシリア・ザピ少将の抹殺を優先せねばならなかった。
 妹へ向けてアムロ・レイの名前を口にする、この唐突さこそ、シャア・アズナブルの冷徹な情勢判断と見ることもできよう。
 シャア・アズナブルはアムロ・レイの目付け役として、リベラルな妹を選んだのである。
 (もっとも、これは彼の思惑を外れ、機能したとはいい難い。
 アムロ・レイは戦後、連邦軍によって軟禁状態とされた。
 連邦という体制自体も、シャア・アズナブルの予想とは裏腹にニュータイブを道具とする方針よりも、より消極的な攻策を打ち出した)
 シャア・アズナブルは妹との別離の後、キシリア・ザビ少将を殺害、ア・バオア・クーを脱出した。
 (キシリア・ザビ少将殺害については長く噂されるのみであり、連邦軍艦艇の砲撃による戦死と見倣されていた)

 その後、グワジン級大型戦艦〈アサルム〉でミネバ・ザピをはじめとする公国軍残党とともに地球圏を離脱。
 小惑星帯のアクシズヘ身を寄せた。
 一年戦争時のエ一ス・パイロットということもあり、アクシズでのシャア・アズナブルは多くの将兵の信望を集めるところであった。
 アクシズの指導者であったマハラジヤ・カーンの死去後、娘のハマーン・カーンがミネバ・ザビの摂政となったが、彼女を推挙したのはシャア・アズナブルであったという。
 当時、ハマーン・カーンはわずか16歳であり、シヤア・アズナブルがアクシズにおいていかに大きな発言力を有していたかが理解できる。
 この時期のシヤア・アズナブルの生活を「隠遁」と形容する人もいる。
 これは一つの考え方であるが、シヤア・アズナブルはアクシズを以て、デギン・ザビの模索した一国ジオ二スム主義を想定したのではないか。
 デギン・ザビは公国制を敷き、ジオン・ダイクンの名のもとに人心をまとめようと試みた。
 アクシズにおけるシャア・アズナブルはミネバ・ザピを奉じ、ザピ家の名のもとに人心を統べようと考えた。
 しかし、この方策はデギン・ザピと同じ轍を踏むこととなった。
 掲げられた政治的目標の実現が先延ぱしになることは、人心の乖離へと繋がる。
 ハマーン・カーンはこの点を承知しており、アクシズの地球圏帰還の時期を明示した。
 ザビ家の名のもとにまとめられたアクシズの地球圏帰還が行われれば、連邦との対決は必至である。
 当然のことながら、ハマーン・カーンは軍事路線を推し進めることになる。
 ここで、アクシズはギレン・ザピによる政治路線ときわめて近い状況となった。

 シャア・アズナブルはこのような状況下にあって、地球圏偵察の名目でアクシズを離脱。
 0084年9月21日、「クワトロ・バジーナ」の連邦軍軍籍を非合法的に取得した。
 その後、彼はこの名前でエウーゴに参加。MSパイロットとしてティターンズとの抗争に荷担する。
 シャア・アズナブルがジオン・ダイクンの子であることは、80年代半ば以降、巷間に流布するところとなっていた。
 一部ではシャア・アズナブルがザピ家に復讐を行ったという説さえも語られることがあった。
 もっとも、これは主として連邦側で流れた情報であり、公国軍残党側ではシヤア・アズナブルがジオンの子であるという話は噂としてはともかく、表向きは否定されていたようである。
 (シヤア・アズナブルによるザピ家への復警が噂されたため、アクシズを離れざるを得なかったと見る向きもある)
 シャア・アズナブル自身もあえて、このことを口にしようとはしなかった。
 「ジオン」の名を継ぐことは、自らを表舞台に否応なく立たせると承知していたのである。
 彼はエウーゴとティターンズの抗争である0087年のグリプス戦役時、ダカールの連邦議会において自らがシャア・アズナブルであることを宣言(11月16日)、周囲に促される形でエゥーゴをまとめることとなった。

 しかし、このことを彼は「人身御供」と洩らし、「道化」とさえいった。
 彼は、「体制の道具」となるニュータイプに否定的であったが、同様の理由で自らが「大衆の道具」となることをも嫌悪していた。
 パイロットでは体制はかえられないと語った彼が、クロトワ・バジーナとしてエゥーゴの一パイロットたらんとした心中を思うとき、なにがその発言を行ったときと異なっているかを考えるべきであろう。
 ニュータイプとして二流であることを認識したことこそ、その理由であろう。
 彼のニュータイプとしての能力は、自らの見識を実現するには甚た不十分であった。
 無論、周囲の人々はそのように考えてはいなかった。
 だからこそ、シャア・アズナブルをエウーゴの代表として推したのである。
 クワトロ・バジーナがシヤア・アズナブルであるということは、グリプス戦役の勃発時より一部の人々には察せられた。
 かつて〈WB〉のMSパイロットであったハヤト・コバヤシはエウーゴの同盟組織カラバの一員としてクワトロ・バジーナに出会っていが、彼は旧友のカイ・シデンより『クワトロ大尉はシャア・アズナブルだと思える』『そのシヤアが偽名を使って地球連邦政府と戦うというのは卑怯だから』と記された手紙を受け取り、真偽を本人に確かめている。
 ハヤト・コバヤシはザビ家が滅んだ今、シャア・アズナブルという人物は地球再建を志に抱いてもおかしくないと考えていた。
 カイ・シデンが指摘したように、リーダーたる度量のあるシャア・アズナブルがMSのパイロットとしのみ役割を果たそうとすることは卑怯であり、逆に自らを貶めることにほかならない…。
 ハヤト・コバヤシは10年、20年かかったとしても地球連邦攻府の首相になるべきであるとさえ、「シヤア・アズナブル」ヘ求めた。
 しかし、シャア・アズナブルにとっては、他者の評価と自己の冷徹な評価のギャツプこそが、悩みの根幹となっていたのである

 《赤い彗星》としての華々しいエースパイロットとしての前半生と、ニュータイプとして政治活動に関与した後半生の落差に、我々はしばしば戸惑う。
 二流の才能しか持っていないと認識した人間が、一流の目標を掲げざるを得ないことは不幸である。
 だが、彼は心の中に常に自己へのもどかしさを抱えながら、「人身御供」を演じることを選んだ。にもかかわらず、ハヤト・コバヤシの提案した道を選ぶことはしなかった。

 彼はネオ・ジオン総帥として0093年、大規模な叛乱を起こしたのである(シャアの叛乱)。
 その中で行なわれた作戦は、地表へ隕石を落下させ、地球を寒冷化させるというものであった。
 人類全体を強制的に宇宙の民にすることでニユータイプ化を促そうと図ったのである。
 このような強硬手段をシャア・アズナブルが採用した背景にはエゥーゴの一員として戦ったことで、人類全体の自然な覚醒を待っていたのでは地球そのものが食いつぶされてしまうと考えるようになったことが大きい。
 彼が10年20年という時間を費やし、地球連邦政府首相へと登る間に、危機は取り返しのつかな鋳物となると認識したのである。
 シャア・アズナブルは「ジオン」の名を継ぎ、この作戦を実施したが、内心にはなおも己の才能への忸怩たる思いがあった。
 二流のニュータイプであるという認識が、このような暴挙を行なうことに禁忌の念を覚えさせたものだろう。
 彼は一流のニュータイプであるアムロ・レイと対等な形で決着をつけ、自らの才能を証明することを欲した。
 (このためネオ・ジオンの新技術であるサイコ・フレームの情報を、シャア・アズナブルは意図的にアムロ・レイにリークしている)
 0093年3月12日、シャア・アズナブルはアクシズを地球へ向けて落下させ、アムロ・レイのRX‐93vガンダムとMSN-04サザビーで交戦。
 終生のライバルである連邦軍のエース・パイロットとともに、消息不明となった。




シャン・カミル(Chan.Camil)=エクスィ・ブレ隊司令(ジオン公国軍)     →BACK

1年戦争開戦前から開戦当初にかけては、キシリア・ザビ率いる『突撃機動軍』に所属し、攻撃師団を率いていたが、作戦指揮能力の高さを買われ、開戦後まもなくして独立した部隊である『特務遊撃大隊』の司令に任命される。さらに、彼は自らMSパイロットとして前線に赴き、数多くの戦果をあげたことは有名である。ジオン・ダイクンの腹心であったジンバ・ラルとは旧知の仲であったが、政治活動には参加せず、生粋の武人であったといわれる。特務遊撃大隊司令へ就任後は、それ以前にキシリア・ザビ麾下であったにもかかわらず、政治に関わりを待たなかったため、ドズル・ザビからも信頼を受け、彼の率いる『宇宙攻撃軍』の管轄下における作戦へも多く参加していた。連邦軍のソロモン攻略作戦前に、自らの発案でMS精鋭部隊『エクスィ・ブレ隊』を結成し、その指揮を執っている。パーソナルカラーは『ダークブルー』

階級(終戦時):大佐 年齢:44歳 性別:男


ジョニー・ライデン(公国軍)     →BACK

 公国軍のトップ・エ一スの一人、軍籍番号はPM056330279Aである。
 《真紅の稲妻》の異名を取り、連邦軍将兵の心胆を寒からしめたMSパイロツトであると同時に、公国同内でも《黒い三連星》と並んで人気のあるパイロットであった。
 もっとも、これは多分に公国軍による情宣活動の成果であった。
 ジョニー・ライデン自身は過大に宣伝される戦果に複雑な心境であり、23歳という若さでの少佐への昇進も、内心に忸怩たるものを覚えていたという
 (とはいえ、一年戦争時、戦意と士気の高揚を目的とし、公国軍は年齢不問の昇進を多数行っている。
 若くして佐官となったのはジョニー・ライデンばかりではなく、他に《赤い彗星》と呼ぱれたシャア・アズナブルがいる。
 ジョニー・ライデンはそのようない意味では生真面目だったのだろう)

 サイド3の第1移民3世として、彼は0056年に生まれた(0053年生であり、一年戦争時26歳とする説もある)。
 祖父は旧オーストラリア大陸から宇宙へ移民してきたが、旧世紀においてはアメリカ合衆国国民であったという(米国系イギリス人と記した文献もアリ)。
 0078年、22歳で彼は高等教育課程を修了、国軍に志願し、兵学校を経て、突撃機動軍所属のMSパイロットとして配属された。
 一年戦争開戦時にはMS‐06CザクUC型を乗機とし、一週間戦争、ルウム戦役に従軍。
 後者では3隻の戦艦を撃沈、この功績によって大尉に昇進している。
 (一週間戦争時のジョニ一・ライデンの階級を「軍曹」としている文献が一部に見受けられるが、この昇進の速さを考えると信憑性は甚だ低いといわざるを得ない。
 また、高等教育課程を修了後に兵学校へ入学していること等を鑑みれば、開戦時の階級は少尉であったと見傲すのが妥当であろう。
 大尉となったジョニー・ライデンは乗機をMS-06FザクUF型とし、機体の塗装色を、真紅に黒のアクセントが入ったものとした。
 このため、彼はしばしばシャア・アズナブルと間違えられ、その戦果を連邦側に混同されることが多かったという。
 (これは、一年戦争末期に至っても続き、テキサス・コロニーで撮影された彼の乗機もシャア・アズナブルのおのと、一時見誤られた。
 これについては後述する)
  また、彼のパーソナル・エンブレムとして知られる一角獣はこの昇進以降用いたものである。

 ジョニー・ライデンがMS‐06Fを乗機とした時期‐戦線が膠着状態となっていた。
 公国は制空権を掌握し、連邦軍はゲリラ的行動をすることしかできなかった。
 このような状況では勇を鼓舞する戦いはほとんどなく、ジョニー・ライデンも主に工業コロニーの攻撃を小隊規模で繰り返したのみであったという。
 (この作戦の詳細は不明である。各サイドは緒戦で壊滅している。
 中立のサイド6への作戦行動ではないと見られることから、対象とされた工業コロニーは、連邦軍が壊滅したコロニーを利用しようとしたものであると推定される)
 なお、この小隊の構成員はキム、クラピッツの2名であったという。
 この時期の戦闘はきわめて地味なものであったが、ジョニー・ライデンはその一つ一つを着実にこなしていった。

 この一方で、一年戦争も後期となると、宇宙戦仕様の傑作といわれたMS‐06Fもさすがに時代遅れとなりつつあった。
 ジョニー・ライデンは新型機のMS-06R‐1A高機動型ザクR‐1Aタイプの支給を上申していた。
 しかし、MS‐06R‐1Aを支給されるのは連邦軍の戦艦を撃沈するよりも難しいと評されるほど配備数の少ない機体であった。
 ジョニー・ライデンのもとにMS-06R‐1Aが届くことはなく、ただ、時間ばかりが経過していった。
 もっとも、このことが彼に意外な幸運をもたらすこととなる。
 地味ながらも積み上げていった戦果は上層部の認めるところとなり、ジョニー・ライデンはア・バオア・クーへ召還、少佐昇進の辞令とともに新しい機体を受け取った。
 「Eの3番デッキで調整中の機体は、ザクであったが、もはやザクの性能を遥かに陵駕していた。
 次機空間戦用MSの選定でリック・ドムに敗れはしたものの、その性能はいささかもこれに劣るものでなかった。
 機体は真紅に塗られ、主人の搭乗を今や遅しと待ち構えていた。」
 この機体こそ、MS‐06R‐2高機動型ザクR-2タイプである。
 R型と呼称されているものの、なかみはまったく別ものであった。
 わずかに4機開発されたこの機体には、ZEONlC社がMS‐11用に研究中だったジェネレーターが搭載され、メイン・スラスターと補助バーにアの強化が図られていた。
 (驚くべきことに脚部には6基の補助バーニアが設けられていた)
 MS−11はのちにMS-14へ型式番号が変更され、ゲルググとしてロールアウトしている。
 いうならば、MS‐06R‐2は過渡期のゲルググといってもよい機体、ザクの皮を被ったゲルググであった。
 しかし、急遽行なわれたジェネレーターの換装は期待のバランスを著しく損ない、高出力でありながらもビーム兵器のドライブができないという本末転倒な事態を招くこととなった。
 また、高推力化は推進剤の積載量との関係から、戦間最大推カ時間を短くしていた。これらの理由で、MS‐06R‐2は結果として宇宙戦用主力MSの座をMS‐09Rリツク・ドムに譲ることとなった。
  もっとも、この機体はジョニー・ライデンには相性のよい機体であった。
 彼は最大戦速で一撃離脱を行う戦法を得意としており、このような高推カの機体を待ち望んでいたのである。

 少佐へ昇進したジョニ-・ライデンは第8パトロール艦隊へMS戦闘隊長として配属された(突撃機動軍第2方面特務中隊)。
 この艦隊はムサイ級軽巡洋艦〈プリムス〉を旗艦としていたため、、〈プリムス〉艦隊と一般に呼称される。
 〈プリムス〉艦隊の主作戦域は公国本土より最も遠い連邦の補給線を分断することであった。
 これは月軌道の反対側に位置するルナツー方面の宙域であり、主にジャブローとルナツーを往還する艦艇が、ジョニー・ライデンの標的となった。
 〈プリムス〉艦隊のMS戦闘隊は中隊規模で、ジョニー・ライデンのMS-06R-2とMS‐09R6機、加えて補給用のMS-06F2機という構成であった。
 主任務が補給線の分断であったため、対艦攻撃用にパスーカが主装備(第2種装備)とされた。
 部隊パイロットの氏名の多くは不明であるが、補給用のMS-06Fを担当した者にラッツという名が確認れている。
 (MS‐06R‐2は戦闘最大推力時撃離脱の戦闘を行うジョニー・ライデンは戦闘中に推進剤の補給を行うケースがままあった)
 〈プリムス〉艦隊は概要パトロール艦隊としては最も早い時期に連邦軍のMSと交戦している。

 この戦闘でジョニー・ライデンは数機のMSを撃破しており、連邦側はこのときも彼をシャア・アズナブルと見誤ったという逸話がのこされている。
 特に、テキサスコロニー付近で撮影されたジョニー・ライデンの機体は連邦の作戦担当将校の間で問題となった。
 この頃連邦軍は公国軍が新型MSの開発に成功したとの情報を入手しており、これが撮影された機体ではないかと推測されたのである。
 しかも、《赤い彗星》こと、シャア・アズナブルが新たに編制された部隊(ニュータイプ部隊と噂された)とともに宇宙での戦線に復帰したとの情報も入っていた。
 ジョニー・ライデンのMS-06R-2はシャア・アズナブルのMS‐14と見誤られたのである。
 とはいえ、これはシャア・アズナブルが撮影時期、サイド6のパルダ・コロニーに滞在していたとの情報から否定され、ジョニ一・ライデンのものとして確定された。
 (撮影時期の正確なところは判じていない。
 ソロモン攻略戦の前後であるともいわれているが、エース部隊の設立時期と重なる部分ももあり、不透明である)

MS-06R-2受領後のジョニー・ライデンの戦果は目覚ましく、わずか2週間で連邦の艦艇4隻を沈めている。
 作戦行動においては彼をはじめ、部下たちもほぼ無傷であったという(せいぜい部下が小破する程度であった)。
 〈プリムス〉艦隊所属時、ジョニー・ライデンがMS-06R-2であげた戦果は、マゼラン級宇宙戦艦2隻、サラミス級宇宙巡洋艦4隻、MS5機とされる(彼の総艦船撃沈数を6隻とする説もあり、この点で疑問を呈する人もある)。

 一年戦争末期、ジョニー・ライデンは本国の要請でザンジパル級機動巡洋艦(キマイラ)を旗艦とする艦隊ヘ転属となった。
 これは本国の要請であり、同様の処置で各地の部隊からエ一ス・パイロツトが〈キマイラ〉隊に集められていた。
 そのため、〈キマイラ〉隊は「エ一ス部隊」の名称で呼ばれる。
 エ一ス部隊は公国軍が当時、注目していたニュータイプ部隊の一つといわれる。
 もっとも、こちらはキシリア・ザビ少将麾下のシャア・アズナブル大佐を隊長とする遊撃隊(独立弟300戦隊)とは異なり、ニュータイプ研究機関であったフラナガン機関の協力は得ていなかった。
 サイコミュやそれを利用したニュータイプ専用機は配備されず、もっぱら、エ一ス・パイロットのニュータイプ的技量に期待するところが大きかった。
 (そのような意味からは連邦側の第13独立部隊に近いといえよう)
 この部隊にはジョニー・ライデンの他にジェラルド・サカイ大尉、トーマス・クルツ中尉といった名前が見られる。
 エ一ス部隊には最新鋭量産機のMS‐14の、B型或いはC型が配備された。
 ジョニー・ライデンはMS‐14Bを与えられ、コレヒドール暗礁宙域での慣熟訓練の後、エース部隊の第1中隊長となっている。
 (一時期、MS‐14Cゲルググ・キヤノンにも搭乗したとの説もある。
 もっとも、この時期、個人で2機のMS‐14を所有するような余裕のある配備が行われていたとは思えず、1機のMS‐14をB型とC型それぞれの仕様に換装し、使い分けていたとみるのが妥当であろう)

 一年戦争最大にして最後の激戦といわれたア・バオア・クー攻防戦に、ジョニー・ライデンはこの部隊を率いて参加した。
 だが、彼の乗機MS‐14Bは帰投せず、戦闘終了後、戦闘中行方不明として終身中佐へ昇進が決定された。
 したがって、ジョニー・ライデン中佐として軍籍より外されている。
 トップ・エ一スであった彼の撃墜スコアは185機と記録されている。
 ただし、この数字については先の艦船撃沈数の記載された資料を出典とするため、疑間を呈する人も多い。




シン・マツナガ(公国軍)     →BACK

 《白狼》の異名で公国の内外に知られるエ一ス・パイロツトである。
 しかし、往時の彼についての情報は非常に混乱しており、同じ公国軍に籍を置くエ一ス・パイロット、《赤い彗星》のシャア・アズナブル、《真紅の稲妻》のジョニー・ライデンらに比して、正確な実像を把握しづらいというのが実際のところである。

 彼は0055年、サイド3に生まれた。
 生家のマツナガ家は、当時、連邦のヤシマ家と並び称される名門であったという(サイド3の名家としては後に公国を支配するザピ家やサハリン家といったものが拳げられる)。
 シン・マツナガが公国軍へ入隊したのは開戦直前であった。
 マツナガ家より軍に入ったのは彼一人である。
 しかも、彼はマツナガの宗家の長男であり、家族のみならず親族の反対を押し切っての入隊であったことは想像に難くない。

 緒戦の一週間戦争では第2制宙師団MS大隊所属のMSパイロツトとしてMS‐06CザクlUC型でブリテイッシユ作戦に参加、地球への落下軌道を進むコロニ一の護衛にあたった。
 この戦闘で彼はマゼラン級宇宙戦艦1隻、サラミス級宇宙巡洋艦3隻を撃沈している。
 彼は公国のトップ・エースの一人となるわけだが、初陣でその片鱗を覗かせていたといえよう。
 このとき、彼の階級は一等兵であった。
 これは彼が士官学校を経ず、入隊したためであろう。
 しかし、この一方で緒戦より彼の乗機は白く塗装されていたとする資料もある。
 となれば、乗機のカスタマイズは基本的には尉官以上に認められていたことから、この段階で少尉であらねぱならない。
 続くルウム戦役で彼の直属の上官が戦死、戦場任官(戦時昇進)によって尉官(准尉)となった。

 ルウム戦役終結時に、彼のスコアはさらにサラミス級2隻を加えていたため、2階級特進で中尉とされた。
 《白狼》の異名を与えられることになる乗機の白い塗装とパーソナル・エンブレムはこの昇進の後であったともいわれ、MS‐06CよりMS‐06FザクlUF型へ乗り換えた時点で採用されている。
 (一説ではルウム戦役時にMS‐06Fに搭乗していたとされる。
 准尉の時点では白い狼のパーソナル・エンブレムと文宇をシールドに描いたのみであり、中尉となってから機体頭部とスパイク・アーマ一を白く塗装したともいわれる)

 昇進した彼は主に、ムサイ級軽巡洋艦〈レムル〉で防空本隊第1方面軍別働隊の作戦指揮にあたった。
 このとき、彼はパイロットとしての才覚を認められ、すでにドスル・ザビ中将の寵愛を受けていたといわれる。
 指揮系統では中将の直属とされていた。シン・マツナガ自身もドズル・ザビ中将を兄のように慕っていたことは有名である。
 ドズル・ザピ中将は有能なパイロットを直属とし、特務部隊を編制することも多かった。
 (ムサイ織軽巡洋艦〈ファルメル〉でゲリラ帰討作戦を担ったシャア・アズナブル、ガルマ・ザビ大佐の仇討ちを目的としたランパ・ラルの特務部隊が有名である)
 この時期のシン・マツナガの作戦行動も特務部隊としてのものであろう。
 また、シン・マツナガはドズル・ザピ中将が戦場視察としてMSで出撃する際には、常にその護衛を務めた。
 ドズル・ザピ中将はカスタム・タイプのMS‐06Fを駆り、大型のヒート・ホークのみで戦閾したことで知られる。
 シン・マツナガはマイヤー少尉とともにチームを組み、中将の直衛を担った。中将の乗機はカスタム機であったこともあり、非常に目立った。
 視認されやすい機体を護衛することの難しさは素人でも容易に想像がつく。
 ところが、シン・マツナガとマイヤー少尉は中将の掩護の傍ら、連邦軍艦艇を撃沈している。
 一説にはこの戦場視察はルウム戦役時に行われたといわれ、2人の直衛はこの出撃で合計5隻のサラミス級を撃沈したとされる。
 もっとも、先にも記したようにルウム戦役時、シン・マツナガはドズル・ザビ中将の直属とはなっていない。
 後の戦場視察の折のルウム戦役の華々しい公国軍勝利と結ぶつけられ、中将と直衛のエ一ス・パイロットの活躍とされたのであろう。
 余談であるが、この出撃の2日後、シン・マツナガは中尉に昇進したとされる。
 ただ、この昇進にも異説があり、中尉に昇進したものの、シン・マツナガは戦場任官であったため、軍規定に基づき、士官学校へ入学せねばならなかったというものである。
 これによれば大尉への昇進は士官学校卒業後、形式的な出撃を行なった後に行なわれたという。

 大尉昇進の際、シン・マツナガは乗機としてMS-06R‐1A高機動型ザクR‐1Aタイプを受領している。
 この機体こそ、《白狼》の名を不動にすることとなった名機であった。
 (生産数が少なく、戦艦を沈めるよりも入手するのが難しいとさえいわれた機体である。
 ジョニー・ライデンがこの機体の支給を申請しながらも、手に入れることができなかったことは有名な挿話である)
 シン・マツナガのMS‐06R‐1A受領は、この機体の前線への配備直前であった。
 彼は昇進に伴い、公国本国へ招還され、褒賞を以て戦功を讃えられるとともに、この機体の慣熟飛行訓練を行っている。
 シン・マツナガの記録映像として有名なものは、この慣熟飛行訓練の最終日に撮影されたものである。
 一般に情宣活動用の映像は前線で撮影されるが、MS‐06R‐1A自体が前線に配備される前であったため、最新鋭機に乗るエース・パイロットの映像をつくるために本国での撮影とデなったとみられている。
 (撮影を本国で行うよう指示したのは、ドズル・ザビ中将であるといわれるが、最新鋭機の存在を早急に内外にアピールすることが求められた結果とみるのが妥当である)

 シン・マツナガはこの機体を以て、宇要塞ソロモンの防空本隊の隊長を務めた。
 MS‐06R‐TAは彼の部下にも支給されていたが、ソロモンでのMS‐06R-TAの活躍はシン・マツナガ機に代表される。
 彼はソロモンを起点とする宙域、特に防衛線に進攻する連邦軍艦隊へ向けて攻撃を行った。
 この一方で、彼の機体はMS‐06R‐1であり、A型への改修は行われていなかったとする説もある。
 これは彼の機体を提えた記録映像が基本的にばR−1の特徴を残しており、A型との差違が最も際立つ背部バックパックを提えた映像が確認されていないためである。
 また、彼は先述したように一撃離脱の近接戦闘を得意としたため、耐衝撃性の向上を鑑み、機体はスパイクの形状やシールド裏面にカスタマイズが行なわれていた。
 特に、両肩をスパイク付きのプロテクターへ換装していた時期があるという証言は、彼の戦法がどのようなものであったのか、想像させるに充分であろう。

 彼の戦法は非情を極めると表現されることが多いが、これは、敵艦の対空砲火を掻い潜り、機関部への直撃のみを狙ったためである。
 MS‐06R‐1Aは後継機のMS-06R2高機動型ザクR‐2タイプほどではなかったが、戦闘最大推力時間は決して長いものではなかった。
 最小限の戦闘時間で最大の戦果を挙げようと試みれば、このような戦法となることは必定であった。
 このとき小隊として彼を掩護するのは呼吸の合った古参のパイロットたちだったという。

 ソロモンでのシン・マツナガ隊の活躍は目覚ましいものであったが、彼はソロモン海戦を前にしてこの要塞をはなれている。
 本国で新型MSを受領するためであったといわれるが、機体情報などは不明である。
 時期よりMS‐14ゲルググではないかと推察されるが、キシリア・ザビ少将とギレン・ザビ総帥がそれぞれの統轄する要塞や基地の戦力温存を図り、新鋭機を意図的にソロモンヘ回さなかったという話は現在では有名な事実である。
 おそらく、シン・マツナガは本国で足留め状態とされ、ソロモン海戦へむかうことができなかったものだろう。
 ソロモン陥落とドズル・ザピ中将戦死の報を、シン・マツナガは本国で耳にした。
 彼の心中は複雑であったという。
 自分が新型MSを駆って駆けつけることができなかったのほもちろん、その背景にある政治的な背景を想像することもできたのだろう。
 彼の乗機MS-06R‐1Aは、ソロモン陥落の際、格納庫で焼失していた。
 彼はこれ以後、本国に留まり、ここで終戦を迎えた。
 ただし、その後の消息が定かでないこともあり、ソロモン海戦以後の戦闘で生死不明となったとしている資料も多いことを付記しておく。
 また、彼が受領しようとしていた新型MSはMS-14JGゲルググ・イエーカーであったといわれ、これに搭乗、戦闘を行ったとする説も存在する。
 公国軍の記録では彼の撃墜スコアはMS141機、艦船6隻となっている。
 ただし、艦船の撃沈数については異説もあり、この点において信憑性を欠くことは否めない。




トーマス・クルツ(公国軍)
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 U.C.0057年、地球に生まれる。
 当初、連邦軍空軍に所属していたが、一年戦争の開戦によって公国へ亡命、国軍へ入隊する。
 この亡命は彼の家族がサイド3の出身であったためといわれている。
 亡命者であったことから、公国軍では所謂、外人部隊と見られる地球方面軍第5地上機動師団に配属され、中東からアフリカにかけての激戦区でゲリラ戦を行った。
 所属したゲリラ部隊G‐27での乗機は、初期においてはMS‐06JザクUJ型。
 後にMS‐07BグフB型を乗機とし、数々の戦功を挙げた。
 一年戦争後期には宇宙へ上がり、グラナダで〈キマイラ〉隊へ配属された。
 エ一ス・パイロットによるニュータイプ部隊とされた〈キマイラ〉隊ではMS一14Cゲルググ・キヤノンを乗機とした。
 ア・バオア・ク一攻防戦で戦死している。
 パーソナル・カラーはグリーンとクリームのスプリッター・パターン迷彩。
 軍籍番号はEX0570042196G。




ハイド・ネィクトゥ(Hyde.Naktto)=エクスィ・ブレ隊(ジオン公国軍)     →BACK

入隊前は、シム・ガルフと同じ部隊で活躍し、ニュータイプではないかと噂されるほどのパイロットであったが、自身はニュータイプ説を信じておらず、その戦果は単に自分の腕であると常々語っていた。シム・ガルフと常にコンビを組み任務をこなしていたハイドは、シム・ガルフがエクスィ・ブレ隊へ入隊志願した時に、共に入隊するよう誘われ、身を共にした。性格はシム・ガルフとは正反対で、奔放で粗雑であるが、パイロットとしては無駄弾を嫌い常に正確な攻撃を心がけるという一面も持ち合わせている。信じるものは自分自身のみというところがあるが、シム・ガルフのことだけは兄のように慕っていたようである。

階級(終戦時):伍長 年齢:23歳 性別:男



フィオ・フライシス(Fio.Frisease)=エクスィ・ブレ隊(ジオン公国軍)     →BACK

開戦当初からシャン・カミルの下で作戦に参加し、MSパイロットばかりではなく、スパイ的な任務もしばしば行っていた。エクスィ・ブレ隊結成のおりに、シャン・カミルから直接入隊を勧告され、一員となった。MSパイロットとしては、その美しい容姿からは想像できないほど大胆不敵であるにもかかわらず、繊細で無駄のない動きで積載燃料を使い切って帰還したことはないという。隊内では、ミスク・ラルの面倒をよくみる姉的存在であったようである。

階級(終戦時):軍曹 年齢:25歳 性別:女



ブレニフ・オグス(公国軍)
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 《ワンショット・キラーのブレニフ》の異名を取る、一年戦争のトップ・エ一スである。
 彼のスコアは公国軍のみならず、連邦軍をも含め最高で、MS193機、艦船8隻という驚異的な数字である。
 連邦軍のMS投入の時期を考えると、これがどれほど短期間のうちになされたかわかろう。
 しかも、彼は一年戦争末期にはMS教導師団で後進の兵の育成にあたっていたのである。
 ワンショット・キラー(一撃必殺)の愛称は、正硬比な彼の射撃に因んで付けられたといわれる。
 彼は無駄弾を撃つことを極端なまでに嫌っていた。
 乗機は開戦時にはMS‐06F、その後MS‐06F‐2ザクUF2型、MS‐09R、MS‐14Cと乗り継いでいる。
 戦法から想像されるのとは裏腹に、彼は温和な人柄で知られた。
 教導師団にあっては、戦局の悪化で訓練不足の兵を出撃させる処置に、最後まで反対の立場を貫いていた。
 彼が新兵思いであったことは、自らの撃墜ス二アを新兵に譲っていたという逸話からも窺える。
 この逸話を考えれぱ、彼の撃墜数は200機を超えるとも推定され、ただただ、驚嘆せざるを得ない。
 終戦時の階級は中佐であった。




マサヤ・ナガカワ(公国軍)
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他のエース・パイロットのような飛び抜けた能力の持ち主ではなかったが、小隊長としての高い指揮能力を発揮しチームワークによって数多くの撃墜数をマークして、エース・パイロットとなった。
 パーソナルカラーは茶色と黄色であるが、その地上用迷彩のような配色とは裏腹に、彼の主戦場は宇宙空間であった。 
 長く愛機としてR型ザクの傑作機”MS-06R-1A高機動型ザクUR-1A型”を使用していた。
 大戦末期は、ア・バオア・クー駐留軍のEフィールド防空大隊に配属され、一年戦争最後の戦いである“ア・バオア・クー攻防戦”には、新たに配備された新鋭機“MS-14B高機動型ゲルググ”に搭乗し参戦している。
 生死は不明。
 戦後、ア・バオア・クーの格納庫から彼の愛機であったR-1A型が発見されている。




マルロ・ガイム(公国軍)
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 ダーク・ブラウンに塗装された、07BグフB型を乗機とし、地球方面軍第4地上機重師団に所属したことで知られる。 終戦時の階級は中尉。
 彼の配属されたMS中隊は〈チャイナレディ〉として有名なマーキングを持ち、東部アジア地区制圧に戦果を挙げた。



ミスク・ラル(Misqu.Ral)=エクスィ・ブレ隊(ジオン公国軍)     →BACK

その年齢、容姿からは想像できないほどのMSの高い操縦技術を持ち、そして、それは天性のものではないかともいわれている。名前からも察することができるように、ラル家の出身であり、青い巨星として知られる『ランバ・ラル』とは、従兄妹にあたる。しかし、年齢がかなり離れていたせいもあり、世間からは叔父と姪と思われていたようである。ミスクは幼少の頃からランバ・ラルを慕い、開戦後は周囲の反対を振り切り軍に入隊。そして、天性の才能をいかんなく発揮しMSパイロットして頭角をあらわせていった。そして、あこがれであったランバ・ラルの隊への入隊を志願したが、ランバ・ラル自身がそれを拒否。そして、ランバ・ラルからミスクの処遇を相談されたシャン・カミルのもとへと行き着いた。あこがれであるランバ・ラルの勇名を耳にするたび、自身もランバ・ラルに追いつこうとするがごとく、次々と戦果をあげていった。しかし、そんなミスク・ラルの姿をシャン・カミルは心配し、いつかその身を滅ぼしてしまうのではないかと懸念していた。そんなミスク・ラルに業を煮やしたシャン・カミルはサラサ・ラシンにミスク・ラルを預けてみようと考え、そして、その時ちょうど結成されようとしていた『エクスィ・ブレ隊』への入隊をミスク・ラルに告知した。ミスク・ラルは『エクスィ・ブレ隊』入隊後しばらくは憧れであるランバ・ラルと同じパーソナルカラーを持つサラサ・ラシンを嫌悪していたが、隊結成時の模擬戦において、サラサ・ラシンとの戦闘でかつてない敗北を喫し、その後、サラサ・ラシンへの嫌悪がしだいに薄れ、そして、やがてはサラサ・ラシンをパイロットとして尊敬するようになっていった。隊の中で、ミスク・ラルのMS操縦技術は1、2を争うほどであり、ほかの隊員たちもかなりの凄腕エースパイロットであったが、みな、ミスク・ラルの能力に対して『別格』であると思っていたようである。その後のある作戦において、隊内で姉のように慕っていたフィオ・フライシスの死を目撃し、一時精神崩壊状態に陥るが、サラサ・ラシンと隊員たちの懸命の助けにより、奇跡の復活をとげた。しかし、一年戦争の最終決戦である『ア・バオア・クー戦』において、他の隊員と共に最後まで帰還することなく、消息不明となっている。

階級(終戦時):伍長 年齢:19歳 性別:女



ララァ・スン(公国軍)     →BACK

 《ソロモンの亡霊》の異名で恐れられた公国軍のニュータイプ・パイロットである。(《ソロモンの姿なき亡霊》と記した資料もあるが、この呼称は一般的ではない。)。彼女は一年戦争時における公国軍最高のニュータイプといわれ、その才能は《赤い彗星》として勇名を馳せたシャア・アズナブルを遥かに凌駕するものであったといわれている。

ララァ・スンは少尉として突撃機動軍独立第300戦隊に所属し、この部隊はキシリア・ザビ少将の遊撃隊であった。しかし、その実態は単なる独立部隊ではなく、シャア・アズナブル大佐によって率いられたニュータイプ部隊であり、ニュータイプ専用機さえも配備されるというかなり力のこもった編成をしいていた。

ただし、ララァ・スンは一年戦争時から軍人、軍属であったわけではない。戦災孤児であったララァ・スンにニュータイプとしての素養を感じたシャア・アズナブルがサイド6のフラナガン機関へ送りこみ、ニュータイプ能力が本格的に開花。『フラナガン機関の秘蔵っ子』とまで評されるの高い能力を以って、キシリア・ザビ少将のニュータイプ部隊の一員として採用されるに至ったのである。フラナガン機関の設立が0079年の6月、シャア・アズナブルがガルマ・ザビ大佐戦死の責を問われ、左遷された10月上旬の時点でこの機関に接触していたことをキシリア・ザビは確認していたことから、シャア・アズナブルがララァ・スンをフラナガン機関へ送ったのは、この数ヶ月の間と見做すのが妥当であろう。



ランバ・ラル(公国軍)     →BACK

 10月4目に戦死した地球方面軍司令ガルマ・ザビ大作の仇を取るべく、兄ドスル・ザビ中将が編制した〈仇討ち部隊〉ともいわれる特務部隊、ランバ・ラル隊の隊長である。

 ランバ・ラルはゲリラ戦を得意とする歴戦の猛者であった。
 彼の父、ジンバ・ラルはジオン・ダイクンとともに革命運動に参加し、旧共和国の成立に寄与した。
 ジオン・ダイクンの死後、デギン・ザビー派が台頭する中、ジンバ・ラルはジオンの遺児キャスバル・ダイクン、アルテイシア・ダイクン兄妹とともに地球へ逃れた。

 ランバ・ラルはそのころ、すでに成人し、革命運動に名を運ねていたが、ジンバ・ラルとは別の道を選んだ。
 共和国から公国へと体制をかえたサイド3に彼は残り、軍人として糧を得ていた。
 ザビ家独裁へと進んでいく公国にあって、親ジオン・ダイクン派であった父を持つランバ・ラルの苦労は、想像に難くない。
 表向き、ザビ家は「ジオン」を国家の名前に掲げるほどに奉っていたが、実際には、革命に参加した親ジオン・ダイクン派を次々に失脚させていたのである。
 彼が草命運動に参加した経歴を持ちながらも、一年戦争の時点で尉官に留まっていたことを討しむ人も多いが、作官として昇進し得なかった理由を父の存在とすることは、あながち穿った見方ともいえないだろう。
 彼が失脚を免れた理由としては、父と異なり、特段、政治的信条を持っていなかったことが考えられよう。
 また、彼の所属した宇宙攻撃軍をまとめているのがドズル・ザビ中将であったことも大いに幸いしたはずだ。
 ドズル・ザピ中将は兄姉たちと違い、政治や、そこに付随する駆け引きに興味を持っていなかった。
 ドズル・ザピ中将が評価するのは政治的信条ではなく、軍人としての勇猛さや、それによってもたらされる戦果であった。と
 はいえ、ランバ・ラルを佐官に任命することは、兄姉やその周囲にある派閥を(ドズル・ザビなりに)意識せざるを得ず、できなかったと見るべきだろう。

 ドズル・ザピ中将がなぜ、親ジオン・ダイクン派を父に持つランバ・ラルを以て、実弟の仇討ちを目的とした特務部隊の隊長に任したものか、疑問を呈する者もある。
 だが、ドズル・ザビ中将がランバ・ラルの実力を評価していただけではなく、その昇進をも念頭に置いて、この任を与えたと見れば、納得もいこう。
 親ゾオン・ダィタン派の父を持っが故に、単独部隊で地球へ降下させられ、ランバ・ラルは見殺しにされたとする人もいる。
 だが、ドズル・ザビ中将がなんとしても実弟の仇を討ちたかったことは後の行勤からも明白である。
 (中将はシャア・アスナプルをガルマ・ザビ大佐を守りきれなかったとの理由により左遷しているし、その後、キシリア・ザビ少将麾下に編入された彼の無能を証明すべく、コンスコン機動部隊を〈木馬〉討伐のために発進させている。
 シャア・アズナブルへの怒りが、死んだ実弟への愛情から出ているとすろ以外に、なんと考えられるだろう)
 ならば、実カ的に信頼のおける人間以外に、このような任務を命ずるわけがない。
 ランバ・ラルの地球降下は急速、決定されたようだ。

 彼は、ギレン・ザビ総帥がガルマ・ザピ大佐追悼演説を行った10月6日は大気圏突入を果たしている。
 降下に使用したのはテスト中のザンジバル級機動巡洋艦であった。
 他にコムサイ1機に部隊員が乗り込み、同行している。
 〈木馬〉討伐のために、ランバ・ラルにはMS‐07BグフB型が与えられていた。
 これは当時の最新鋭機である。
 (ザンジパル級機動巡洋艦は他にMS‐06JザクUJ型2機が収容されていた。
 部隊が作戦において、使用したMS‐06の総数は、補給された機体を含め5機であり、地急降下時、2機のコムサイのいずれかに1機が収容されていたと思われる)
 中央アジアにおいて、ランバ・ラル隊はギャロツプとカ一ゴ、サムソンを用いて移動していたが、これは現地において手配した装備のようだ。
 MS‐07Bが配備された部隊の中では最初期のものであったため、彼らが活動していた地域で他にこの新鋭機を持っている部隊はなかったようだ。
 ランバ・ラル隊はグフ部隊」と呼称されることもあった。
 なお、彼の使用した「グフ」はB型であるが、正しくはMS‐07Bではない。
 彼に与えられたのはYMS-07Bであり、B型仕様の先行量産機であった。
 ランバ・ラルが連邦軍の「白いMS」と互角以上に渡り合うことができたことの背景には、この機体が彼のためにチューニングされていたこともあったとされる。
 一説には「グフ」が青く塗装されているのはランバ・ラルの乗機の色を受けてのものともいわれ、同様のケースとしてしぱしぱMS‐09ドムに《黒い三連星》のパーソナル・カラーが採用されたとする説が挙げられる。
 部隊員は約40人といわれる(正確な人数は不明)。
 ランバ・ラルの息のかかった者を中心に編制されていた。
 これは急速決定された作戦のためというだけではなく、大尉自身が気心の知れた部下とともに作戦遂行を求めた結果のようだ。
 もっとも、そのためにMSで地上戦闘を経験した人間が一人としていない段階で任務にあたることとなった。
 ランバ・ラル自身、地球へ降りたことはあったが、重力下でのMS戦闘を行った経験はなかったのである。

 ただし、この点に関しては近年、疑間が呈されている。
 それは、公国軍のニューヤーク占領に際して行われた閲兵式の記録映像と称されるものが、近年発見されたことによる。
 そこにはランバ・ラルの乗機とされる青いMS‐05BザクIB型が映っている。
 疑問を口にする人は、この機体で彼が地上戦闘を行ったとするのである。
 (ただし、この記録映像にはランバ・ラルとともに民間人であるはずのクラレ・ハモンが軍服着用で映っており、信憑性に疑問を表する人も多い)
 また、通常の部隊に比べ、尉官クラスの人間が多かったことがランバ・ラル隊の特徴として挙げられよう。
 タチ中尉、クランプ中尉、コズン・グラハム少尉といった名前と階級が、部隊員の中には見られる。
 指揮官であるランバ・ラルの死傷といった事態にあっても、別の人間が指揮を引き継ぐ(或いはその人間をサポートする)ことが容易にできるようにという配慮であろう。
 ランバ・ラル隊は仕務の達成を必須とされていたと、この一事より考えることができよう。
 ランバ・ラルはこの任務がザビ家の、いや、ドズル・ザビ中将の極めて個人的な感情から発していることを理解していたはずだ。
 にもかかわらず、この任務を拒まなかったのは、彼の軍人としての気性から来るものばかりではなかったろう。

 任務達成の暁には、ランバ・ラルは2階級特進で中佐となることが約束されていた。
 だが、彼は自らの出世のためにこの任務を引き受けたのではないといわれている。
 ランバ・ラルが部下から厚い信頼を寄せられ、非常に慕われていたことは余人の語るところである。
 同時に、彼の側も、部下たちのことを常に念頭に置き、大切に想っていた。
 ランバ・ラル自身の出世は部下たちの待遇改善にもつながる。
 とりわけ、この作戦をともに遂行した部隊員ともなれば、ガルマ・ザピ大佐の仇を討った一人として、隅に置かれることはないだろう。
 作戦の成功、彼の出世は部下たちの生活の安定に繋がるのだ。

 大気圏突入の直後、ランバ・ラルは太平洋上で〈木馬〉に遭遇、これと交戦状態に入った。
 ただ、このときはあくまでも小手調べという程度で、すぐさま後退している。
 テスト中であったザンジバル級機動巡洋艦はこの後、キャリフオルニア・ベースヘ送られ、ランバ・ラル隊は戦力として使用することができなかった。
 ランバ・ラルはドズル・ザピ中将の命令によって〈木馬〉討伐を行っていたが、地球方面軍は基本的にキシリア・ザピ少将の突撃機動華の管轄下にあった。
 そのため、物資・情報の両置で満足な援助を受けることができなかったようだ。
 〈木馬〉との2度目の戦闘は、敵艦が中央アジアに入り込んでからとなった。
 このとき、〈木馬〉の情報はマ・クベ少佐(当時)からもたらされたが、これは〈WB〉がオデッサ作戦で進攻中のレビル大将麾下の部隊と歩調を合わせつつあることを警戒したためといわれている。
 マ・クベ少佐は自軍の戦力を用いずに、ドズル・ザビ中将直属のランバ・ラル隊を用いて〈木馬〉を始末しようとしたのである。(理由については異説もアリ)。
 この戦闘でランバ・ラル隊はMS‐06J2機を失い、その後、同数の補給を受けた。
 このMS‐06Jは関節こそ交換されていたが、かなり使い込まれた機体であった。
 その後、〈木馬〉に襲撃されたマ・クベ少佐の鉱山基地を救出する掩護戦を行い、ソドンの町近郊で〈木馬〉に搭載された〈白いMS〉、RX‐78‐2によってMS‐07Bを失った。

作戦行動直前に、ランバ・ラル隊はソドンの町へ立ち寄り、食事をしていた。
ここで食堂を経営する男性は、このときのことをよく覚えていた。
 何年か後、ランバ・ラル隊について取材した本の中で、次のように語っている。
 「店にいた客は15くらいの少年一人だけだった。まァ、いつもそんなものだった。
 だから、表にトレーラーがいきなり停まって、どやどやジオン兵が入ってきたときには、いったいなにが起こるものか、びっくりした」
 ……「髭を生やしてがっちりとした体格の士官が、『作戦前の食事だ。なにを頼んでもいいぞ』といった。
 彼が指揮官だということは制服からもわかった。
 いっしょにいた女が品書きを見て、『なにもないのね』と眩くのが聞こえた。
 女は軍人という感じじゃあなかった。
 軍服姿じやなかったし、なんてえのか、野卑な男たちの中で、妙なくらい気品があった」
 女はクラウレ・ハモンである。彼女はランバ・ラルの愛人であった。
 ただ、付き合いはそれほど長くはなかったようだ。
 ランバ・ラルがルウム戦役のゲリラ戦において、彼女を助けたことが馴れ初めといわれている。
 (クラウレ・ハモンがかつてジオン・ダイクンの愛人であったという説も存在することを付記しておく)
 彼女は軍属ではなかったが、ランバ・ラル隊とともに地球へ降下し、行動をともにしていた。
 ランバ・ラルがドズル・ザピ中将の命を受け入れたのは、部下たちのためばかりではなく、彼女のためでもあったといわれる。
 ガルマ・ザビ大佐の仇討ちに成功すれば、ランバ・ラルの愛人である彼女に、よりよい生活を与えることができるのだ。
 クラウレ・ハモン自身は様々な証言、記録などをあたってみると、どうやらこの任務について否定的であったらしい。
 ザビ家の私怨から出ている作戦に、自らの情人が関わることを潔しとしなかったのである。
 俗説に類するものだが、一説には、クラウレ・ハモンはジオン・ダイクンの愛人であったともいわれている。
 このこだわりが、俗説に繋がるものだろう。
 ジオン・ダイクンの死をデギン・ザビによる暗殺とすることは、現在では定説となっているが、当時から根強い噂として存在したのである。
 ランバ・ラルはクラウレ・ハモンに対し、任務を引き受けたのは部下たちの生活の安定のためばかりではなく、彼女のためでもあると告げたという。
 「より、ザピ家に近い生活ができる」と、彼は口にしたとされるが、これは、ランバ・ラルが当時の置かれていた状況を愛人のために潔しとしていなかったことを教える言葉といえよう。
 噂通り、クラウレ・ハモンがジオン・ダイクンの愛人であったとするなら、革命に参加した彼の胸中を思うとき、我々は彼の漢としての衿持を感じざるを得ない。
 革命家であり、建国の父であるジオン・ダイクンに、彼は自らを比していたのではないか。
 自分はこの女性にジオン・ダイクン以上のものを与えていないと、彼には感じるところがあったからこそ、このような発言を、ふと、洩らしてしまった。
 そのように解することができる。
 となれば、クラウレ・ハモンはランバ・ラルの心情をどのように感じていたものだろう。
 ともあれ、ソドンの町にある食堂で、彼女は、この証言者に、できるものを14人分、用意するよう求めた。
 「表で、マイルとサグレドという2人の兵士が見張りに立つようにいわれていた。その分を引いても一人多い。
 指揮官は女ヘ、一人多いぞ、といった。
 女はあの少年にも、とカウンターの客を示した」
 ランバ・ラルはこの少年を見遣り、「あんな子がほしいのか」と白い歯を覗かせた。
 クラウレ・ハモンは「まさか」と微笑んだという。
 この少年が、〈WB〉を脱走中のアムロ・レイであった。
 (証言者の記憶、〈WB〉側の記録などから確実と見なされている)
 無論、この段階でランバ・ラル隊は一人としてRX‐78‐2のパイロットについて知らなかった。
 14人分の食事の理由は、純枠にクラウレ・ハモンの厚意、もしくは作戦前の最後の食事が13人という不吉な数字とならぬよう考えた験担ぎだったのだろう。
 もっとも、アムロ・レイはこの厚意を遠慮する。
 『あなたに物を恵んでもらう理由がありませんので…』 
 その言葉を聞いて指揮官は高笑いした。
 『ハモン、一本やられたな、この小僧に』ハモンと呼ぱれた女は微笑んでいた。
 『君のことを私が気に入ったからなんだけど…理由にならないかしら』」 
 ところがアムロ・レイはなおも頑なに拒んでいた。
 「『気に入ったぞ、小僧。それだけはっきりと言うとはな』と、指揮官は少年の態度に感服した。
 俺からもおごらせてもらう、それならいいだろうと少年の肩を叩いた。
 少年はびっくりした様子だった。
 そんなつもりでいったわけじやないのは明らかだった。」 
 そこヘ、店の表に立っていた兵(サグレドらしい)が
 連邦軍の制服を着た少女を引っ立ててきた。
 彼女を見て、アムロ・ノイは「フラウ・ボウ」と呼ぴかけ、知り合いであることがランバ・ラル隊の面々にもわかった。
 「指揮官は少年の前に行くと顔を覗き込んだ。
 『いい目をしているな』といって、外衣をめくると、少年は拳銃を握り締めていた。
 『それに、度胸もいい。ますます気に入ったよ』」アムロ・レイは拳銃を向けることまではできなかったようだ。
 ランバ・ラルは何事もなかったように外衣を閉じ、「だがな、戦場で会ったらこうはいかんぞ。頑張れよ、アムロくん」といって、彼を少女とともに店の外へ送り出した。
 この後、証言者の記億するところでは、近辺にいる連邦軍の部隊といえば、〈木馬〉以外にあり得ないとして、ランバ・ラルはゼイガンヘ尾行を指示した直後の戦闘でアムロ・レイとランバ・ラルは互いの乗機のコックピットを切り裂き、その中に先刻目にしたのと同じ顔を見ることとなった。
 戦場で会ったのである。

 しばしば、ソドンの町にいたランバ・ラル隊は部隊員全員と誤解される。
しかし、実際にこの町にいた部隊員はその一部にすぎない(MSを積んだサムソン2両のみが目撃されている)。
 タチ中尉を中心とした残る面々はギャロップとカーゴにあって、これを警備していたものとおもわれる。
 YMS-07Bを失ったランバ・ラルはマ・クベ少佐へ援助を要請した。
 中央アジア、カッパドキア高原(記録ではポイントA‐13とされている)でマ・クベ少佐麾下の使者と接触を持ったランバ・ラル隊は、オデッサ作戦で進行中の連邦軍の正面へ戦力を振り向けることに手いっぱいで、到底、後方のランバ・ラル隊へ増援を回すことはできないという拒絶の言葉を受け敢る。
 そのうえ、マ・クベ少佐はランバ・ラル隊に独力での〈木馬〉奪取を、逆に要請してきた。
 通常なら、このように無理な要求をせれれば、怒りもしよう。
 しかし、ランバ・ラルは使者に向かい、「このランバ・ラル、たとえ素手でも任務はやり遂げて見せると、司令にはお伝えください」と宣言したという。
 この援助要請の顛末については異説がある。
 YMS‐07Bを失ったランバ・ラルがマ・クベ少佐に援助を求める一方、ドズル・ザビ中将へも補給の要請を行っていたというものだ。
 このときの接触は、新型のMS、MS‐09ドム3機を受けるためのものであった。
 二つ要請については直接に連絡を取る術がないため、すべてマ・クベ少佐を通してのものであった。
 マ・クベ少佐はランバ・ラル隊が転戦した中央アジアに、無数の鉱山基地を管理していたが、この大半はキシリア・ザピ少将のみの知るものであり、ドズル・ザビ中将はおろか、ギレン・ザビ総帥さえも存在を把握してはいなかった。
 マ・クベ少佐はランバ・ラルによって鉱山基地の全貌が明らかになることを畏れ、故意にドズル・ザピ中将への連絡を握り潰していたという。
 MS‐09がランバ・ラル隊へ回されるという電文も、マ・クベ少佐が提造したものだったとされる。
 カッパドキア高原にはコミュ連絡機が1機現れたのみで、マ・クベ少佐の副官ウラガン中尉からは3機のMS‐09を乗せた補給船は中央アジアに入る直前で撃破されたとの説明が行われた。
 ランバ・ラルの前出の宣言はこれを受けての言葉であり、ウラガン中尉は引き揚げる連絡機の中、「なるほど、戦バカとはこういう男のことをいう」と嘲りを籠めて評したとされる。
 マ・クベ少佐は、自らが補給要請を握り潰したと勘繰られることなど、ランバ・ラルにあっては絶対にあり得ないと、ウラガン中尉に断言していたのである。

 部隊の主軸となるべきMSを失ったランバ・ラルは、作戦を変更。
 ゲリラ戦を以て、〈木馬〉を奪取することにした。M3作戦である。
 しかし、この作戦でランバ・ラルは戦死し、クランプ中尉を始めとするゲリラ戦闘のエキスパートたちの生命も失われた。
 この戦闘の最中、ランバ・ラルがジオン・ダイクンの遺児、アルテイシア・ダイクンと再会したことは、今では多くの人の知るところとなっている。
 敵軍の艦におよそ10年ぶりに見かけた「姫さま」の姿にランバ・ラルは動揺。リユウ・ホセイの銃弾で重傷を負い、〈WB〉の第2フリツジにおいて自決したのだ。残された部隊は後日、〈木馬〉ヘ突攻を仕掛けた。通常は部隊に残った最も階級の高いタチ中尉が指揮を執るべきであろうが、この作戦において、彼は立案と実施にあたっただけで、実際の指揮はクラウレ・ハモンが執ったとされる軍属でないクラウレ・ハモンが指挿を執ったことに疑間を呈する人も多い。
 しかし、その人たちはランバ・ラル隊について甚だ理解が足りないといわざるを得ない。
 この部隊は寄せ集めの兵士で作られた即席の特務工作隊ではない。
 ランバ・ラルヘの確かな信望において結び付いていたことを忘れてはなるまい。
 クラウレ・ハモンは大尉が生前、MS‐07Bで出撃した際、ギャロップの指揮を任されていた。
 指揮官としての能力についてはクランプ中尉やタチ中尉らがサポートしていたのは間違いないだろうが、ブリッジに彼女のいることが兵たちの求心力や士気の向上に大きく貢献していたはずである。
 ソドンの町でのアムロ・レイとの邂逅を挙げるまでもなく、クラウレ・ハモンとランバ・ラルの間に存在する親密な空気を、部下たちもまた、共有していた。
 クラウレ・ハモンはランバ・ラルの愛人であったが、彼女自身の気性はランバ・ラル同様に部隊員から信望に足るものと見傲されていた。
 故に、クラウレ・ハモンがランバ・ラルの遺志を継ぐといったとき、兵たちに異存があろうはずもなかった。
 この突攻作戦の時期には諸説あるが、結果として、ランバ・ラル隊は全滅。クラウレ・ハモンも戦死している。
 ランバ・ラルのMSでの撃墜数は明確になっていないが、彼も公国軍のエ一ス・パイロツトの一人であったとする声もある。
 中には《青い巨星》という呼称を用いる人もいるが、これはどうやら一般的とはいえないようだ。
 (戦時中についた呼称ではなく、後に《赤い彗星》などに倣って付けられたとする説のほうが有力である)
 彼はMSのパイロットとしてよりも、ゲリラ戦のエキスパートとしてのほうが有名である。



ロバート・ギリアム(公国軍)
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 開戦当初から前線で活躍していたエース・パイロットで、主な戦線が地上に移行していた大戦中期には水陸両用MSなどを駆り、地上でも活躍していたという記録が残っている。
  大戦後期には、ソロモン駐留軍に配属され、その際にわずか4機しか製造されていない高機動型のザク”MS-06R-2高機動型ザクUR-2型”を受領している。
 ソロモン攻略戦では、陥落したソロモンから愛機ともども脱出し、続くア・バオア・クー攻防戦にも参戦している。
 ア・バオア・クーへの再配備時にはR-2型を乗機としていたが、すぐに新鋭機である”MS-14Sゲルググ先行量産型”に乗り換えている。
 パーソナル・カラーは青と黄色。
 ア・バオア・クー攻防戦における生死は不明である。




アムロ・レイ(地球連邦軍)     →BACK

 一年戦争時、最高のニュータイプであり、連邦軍のトップ・エ一スの一人として数えられるMSパイロツトである。
 一説によれば、彼のMS撃墜数は142機、艦船撃沈数は9隻というものであり、この記録の記載されている一覧に基づくなら、連邦軍中第2位というスコアである。
 また、一年戦争後期に戦線へ投入された公国の新兵器MAの撃破も複数確認されており、彼を以て一年戦争時唯一のMA工一スと呼称する人もある
 (とはいえ、MAの撃破数については一致を見ず、MAN‐08エルメス、MA‐08ビグ・ザムの2機のみであるとする説が有力である)。
 連邦軍における撃墜の確認は、公国軍ほど厳密ではない。
 しかし、アムロ・レイのスコアは〈WB〉や僚機による確認や証言が存在し、非常に信頼性の高いものといわれた。
 彼が連邦軍の事実上のNo.1パイロットであったとする主張も一概に退けるわけにはいくまい。

 一年戦争時、20歳にも満たなかったアムロ・レイが、これぽどの撃墜数を示しているだけでも驚嘆すべきことだが、さらに驚くべき事実は(現在では彼の名を知る誰もが承知していることであるが)、彼が軍人ではなく、民間人として当初、公同軍のMSを撃墜していたことである。
アムロ・レイは史上最初のMSエ一スといわれてはいるが、5機撃墜を達成した時点では民問人にすぎなかった。
 この事実を以て、アムロ・レイのニュータイプとしての覚醒ぶりを示す証左と主張する人も多い。

 アムロ・レイの生年は一般には0064年といわれるが、一部には63年11月4目とする説も流布している。
 地球生まれで、出身地は大平洋沿岸の北米プリンスルパートとする説と、旧モンゴリアであるとする説の2つがある。
 母はカマリア、父はテム(ティムとする場合もある)。
 一人息子であり、兄弟姉妹はいない。テム・レイは技術者であり、アムロ・レイは幼い頃、父とともに地球を離れ、宇宙へと上がった。
 カマリア・レイは宇宙に馴染めないという理由から地球に残り、以来、一人で暮らしていた。
 地球での幼年時代を知る女性がアムロ・レイについて次のように語っている。
 「やさしい子でしたよ、ええ。娘のコミリーと仲がよくて教会で遊んでました。
 コミリーはジオンの空襲で死んでしまいましたけれど…そうそう、一年戦争のとき、一度だけ村へ帰ってきました。
 軍服なんて着てるから、最初は誰かと思ってね。
 あたしが売ってたリンゴのお金を、与太者の連邦の兵隊が地面に投げて払ったのを見てひどく怒って、『捨え、拾え』って。
 おかげで殴られてしまったけれど。正義感の強い子で、なんていうか、思い込むと無鉄砲なところがあったんですかねえ」

 アムロ・レイは一年戦争時、サイド7で暮らしていたことから、我々はしばしば、カマリア・レイと別れてすぐに、このコロニーへ移民したと考えがちである。
 しかし、サイド7の移民が始まったのは0078年5月である。
 アムロ・レイはこれより以前に母と別れて宇宙へ上がっており、他コロニーで暮らしていたとする説が有力である。
 また、この一方でテム・レイがアムロ・レイを宇宙へ連れていく際、コロニーの建設を幼い子に見せておきたいと語ったという話もあることから、サイド7の建設時よりこの宙域で暮らしていたとする説もある。

 アムロ・レイの父、テムは連邦軍の技術大尉としてRX‐78ガンダムの開発に携わった。
 奇しくも、この機体の一つ、RX78‐2にアムロ・レイは搭乗し、連邦軍の「白いヤツ」として知られることになった。
 父が仕事中心の生活をしていたため、サイド7で暮らすアムロ・レイは家に一人でいることが多かったらしい。
 隣家のフラウ・ボウが世話好きな少女であったこともあり、なにくれとなく面倒を見ていたようだが、アムロ・レイは父の仕事の影響もあってか機械いじりの好きな内向的少年へと育っていった。
 親指の爪を噛むという幼児的な癖があり、フラウ・ボウは度々注意を与えていたという。
 余談であるが、機械いじりといってもアムロ・レイのレベルは趣味のそれを超えていた。
 サイド7の中でも機械好きとして知られていたというだけで、どれだけのものか容易に想像がつこう(サイド7は1バンチしかなく、移民が始まったばかりの小規模なサイドだったとはいえ、コミュニティ内の有名人となるのは生半可な「機械好き」では到底不可能である)。
 これを証明するかのように、彼はペガサス級強襲揚陸艦〈WB〉の乗員となってから、RX‐78−2のパイロットとして乗機の整備をメカマンたちとともに行ったが、予備のコンピュータを自ら整備することも多かった。
 (ただし、コア・ブロックに搭截されている教育型コンピユータではない)
 また、彼がフラウ・ボウにプレゼントした手製のペットロボット、ハロは隠れた傑作と評されている。
  ハロは球体のボディで転がる、或いは収納された手足を使って階段の昇降を行うといった運動を自律的に行い、簡単な会話を行うことさえできたほか、周囲の人間の脳波レベルの測定さえも可能であった。
 このような「機械好き」の少年であったことから、RX‐78−2に搭乗した瞬間、配線までも理解したという伝説が生まれたのであろう。
 (いかに一年戦争最高のニュータイプとはいえ、この挿話は「伝説」としか言い様がない)

 彼の人生が大きくかわったのは一年戦争が始まって9カ月余が経過した9月18目である。
  アムロ・レイの暮らすサイド7はしばしば僻地と形客されるような場所に位置するサイドであり、公国と連邦の戦禍も及んでいなかった。
ただし、ここには連邦軍の軍事研究施設が設けられ、V作戦で完成したMSの最終トライアルが行われていた。

 9月18日、MSを受領するために寄港した連邦軍の新造艦、ペガサス級強襲揚陸艦〈WB〉は、公国軍のシャア・アスズナブル少佐(当時)率いる特務部隊に追尾さていた。
 シャア・アズナブル少佐は、コロニー内に嘩噂される連邦軍のMSが存在すると推測。
 3機のMS‐01ザクUF型で構成された偵察部隊を派遣した。
 このうち、2機のMS‐06Fがコロニー内部へ侵入。発見した連邦軍のMSへ攻撃を行った。
 アムロ・レイはこのとき、アイドリング状態のRX‐78−2に搭乗、偶然にも拾った操作マニュアルを参考に機体の操縦を行い、これらを撃破した。
 〈WB〉の正規乗員のほとんどとMSの正規パイロットが死亡したこともあり、アムロ・レイはその後、RX782のメイン・パイロットとして〈WB〉の戦力の中枢を担うこととなった。
 立場としては現地徴用兵であったが、正規に軍の一員となって階級を与えられたのはかなり後になって、ll月27日、連邦軍本部ジヤフローに到着してからである。
 一般にアムロ・レイの一年戦争峙の階級は少尉と記截されるが、これはジャブローで与えられた階級である。
 これより前は暫定的に曹長の待遇であったとされる。
 ただし、ジャブローでの昇進については異説があり、ここで正式に曹長に任命され、この階級で終戦を迎えているとする資料も存在する。
 もっとも、現在では前者に信憑性があることから、多くの文献で「アムロ・レイ少尉」との記述がなされている。

 終生のライバルとなった《赤い彗星》こと、シャア・アズナブルとの初めての対決は、アムロ・レイの2度目の戦闘であった。
 サイド7出港時、アムロ・レイは〈WB〉の警護にあたり、シャア・アズナブルのMS‐06SザクUS型と交戦した。
 このとき、両者の間にはパイロットとして大きな実力差があったものの、機体性能の差はそれを埋めてなお、余りあるものであった。
 シャア・アズナブルはRX‐78‐2のビーム・ライフルの威力に驚愕し後退。
 アムロ・レイはからくも公国軍のエ一ス・パイロット引き分けることができた。

 シャア・アズナブルは10月4日、助カしていた地球方面郡司令ガルマ・ザビ大佐が北米で戦死し、その責を問われて左遷されるまで、〈WB〉を追撃し、アムロ・レイと度々交戦。
 これらの戦いの中でアムロ・レイも敵軍の赤いMSを強く意識することとなった。
 とはいえアムロ・レイがパイロツトとして自身の技量の向上を願ったのは、シャア・アズナブルとの戦いのなかではなかった。
 シャア・アズナブルと戦っていた時分、彼はあまりにも未熟で、ただ生き延びることだけに腐心していた。

 連邦軍トップクラスの撃墜数から、アムロ・レイを生粋の戦士と考える人も多い。>
 しかし、先にも記したように彼はサイド7への公国軍侵攻以前には機械いじりが好きな、ただの少年にすぎなかった。
 RX‐78‐2に搭乗したのも偶然であり、本質的に好戦的な人間ではなかった。事実、北米では出撃を拒否したことさえある。

 アムロ・レイがパイロットとしての自分を強く意識し、生まれて初めて己の力で勝ちたいと思った相手はランバ・ラル大尉であった。
 ランバ・ラル大尉はガルマ・ザピ大佐の仇討ち部隊として地球へ降下、中央アジアを西進し、ヨーロッパでの反攻作戦に合流しようとする〈WB〉を追撃した。
 ランバ・ラル大尉率いる特務部隊との戦いのなか、アムロ・レイは自己の実力が〈WB〉艦長のブライト・ノア中尉(少尉との異説アリ)より過小に評価されているとの思いから、RX‐78‐2を奪い、艦を脱走するという事件を起こしている。
 このとき、彼はランバ・ラル大尉とその部下たちに中立地帯のソドンで遭遇。
 ランバ・ラル大尉はアムロ・レイの出会う初めての生身の敵であっただけではなく、大人としての風格を備えた人物であった。
 ランバ・ラル大尉の乗機MS‐07BグフB型と交戦し、アムロ・レイは勝利を収めたものの、脱出する大尉の「勝てたのはそのMSの性能のお陰だ」という棄て台詞は彼の胸に突き刺さった。

 アムロ・レイのニュータイプとしての覚醒がどの時点であったかは定説を見ない。
 簡単な操作マニュアルを一読しただけでRX‐78‐2を操縦、公国軍MSを撃破したことを以て、ニュータイプの覚醒と見ることもでき、また、ニュータイプとしての、常人から見れば異常ともいえる勘の冴えを早い段階から示していたと証言する人々もある。
 (とりわけ、10月4目、ガルマ・ザビ大佐が戦死した際、また、ランバ・ラル大尉と初めて交戦した際の勘の冴えを挙げる人は多い。)
 一方、公同軍側には11月上句のオデツサ作戦前後より、RX−78‐2のパイロットがニュータイプであるらしいとの噂が流れていた。
 これは、連邦軍のレピル大将が〈WB〉隊をニュータイプ部隊として喧伝したためとも思われる。

 アムロ・レイの終生のライバルとなったシャア・アズナブルは大佐として戦線へ復帰後、11月30日、ジヤブロ一でほぼ2カ月ぶりにRX‐78‐2と交戦。
 アムロ・レイが技量を上げていることを痛感した。
 これに対して、アムロ・レイは赤いMSM‐07SスゴツクS型をひと目見て、パイロットをシヤア・アズナブルと直感したという。

 アムロ・レイがシャア・アズナブルと直接に生身で顔を合わせたのは、中立地帯であったサイド6である。
 ぬかるみにはまったアムロ・レイのエレカを、通りかかったシャア・アズナブルがララァ・スンの運転するエレカで引っ張りだすという、出会いであった。
 偶然というにはあまりに宿命的である。
 このとき、アムロ・レイはシャア・アズナブルの顔を知らなかったが、ひと目その姿を見て、自分が戦ってきたパイロットであると確信したという。
 「そうか…若いな。目の前に敵の兵土を置いて硬くなるのはわかるが、せめて礼ぐらいはいってほしいものだな、アムロくん」
 アムロ・レイの動揺に気づかず、シャア・アズナブルはこのように告げたという。
 その場にいたララァ・スンはこれより先にアムロ・レイに湖畔で出会っており、彼に特別な印象を残していた。
 アムロ・レイはこの段階ではニュータイプという自己認識はなかった。
 それはシャア・アズナブルにおいても同じで、ただ、ララァ・スンのみが両者を自分と同様の素養を持つ人間であると認識していた。

 ララァ・スンは公国軍少尉として任官され、独立第300戦隊(公国軍ニュータイプ部隊)に配属された。
 彼女はニュータイプ専用機MAN‐08(エルメス)で出撃、戦場でアムロ・レイと再会することになる。
 アムロ・レイとララァ・スンの交感は当時としてはきわめて特殊な事例であり、二人の傑出した才能がサイコミユの媒介によって発動したものであると見られている。
 戦闘中の交感で、彼らは次のような会話(思惟というべきかもしれない)を交わしたといわれる。
 「『なぜ、なぜなの?なぜあなたはこうも闘えるの?あなたには守るべき人も、守るべきものもないというのに…私には見える。
 あなたの中には家族も、ふるさともないというのに……』
 ・・・守るべきものがなくて闘ってはいけないのか。『それは不自然なのよ』
 …では、ララァはなんだ!『私は救ってくれた人のために闘っているわ』
 …たった…それだけのために?『それは、人の生きるための真理よ』」
 ララァ・スンはアムロ・レイに「家族」も「ふるさと」もないと看破した。
 このことを説明するには、アムロ・レイの〈WB〉乗艦後の2つの体験を記しておかねばなるまい。

 アムロ・レイが一年戦争時、里帰りをしたという話は先にも触れた。
 彼はこのとき、難民キャンプでボランティアをしていた母カマリアに再会している(時期としては10月5目、10月7日の2つの説がある)。
 アムロ・レイは故郷を訪間する際、コア・ファイターを利用しており、これが付近の公国軍に目撃された。
 難民キャンプで母と束の間の再会を喜んでいたアムロ・レイだが、パトロールの公国軍兵士が現れた。
 不幸なことに、このとき、〈WB〉より発進したリユウ・ホセイのコア・ファイターが公国軍前線基地を発したパトロール隊(コードネーム〈ホットドッグ)隊)のルツグン2機と交戦。
 1機の撃墜に成功したものの、残る1機(乗員はゲージとカンブの2名との記録がある)を取り逃がしたため、この掃討をアムロ・レイのコア・ファイターに行わせようと呼ぴ出しがなされた。
 呼び出し音に不審を覚えたパトロールの兵士に対し、アムロ・レイは公国軍兵士に母の眼前で重傷を負わせてしまったパトロールの兵士はロス、マグの2名。
 (負傷したのはマグのみで、ロスはジープで基地へ逃げ帰っている)
 「『あ、あの人たちだって子供もあるだろうに…それをを…鉄砲向けて撃つなんて…す、すさんだねえ』戸外へ息子を連れ出した母は、哀れむように洩らした。
 『じやあ、母さんは僕がやられてもいいっていうの?アムロはそういって、戦争なんだよ、と付け加えた。
 『そ、そうだけど…そうだけど』と母は口寵りながらもも反論した。
 『他人様に鉄砲を向けるなんて』『母さん、母さんは僕を…愛してないのか』アムロはカマリアをなじった。
 『そんな……』カマリアは驚き、ハッと息を飲ん『子供を愛さない母親がいるものかい』
 嘘をつけ、とアムロは吐き捨てた」
 カマリア・レイは息子に向けて、「あたしはおまえをこんなふうに育てた覚えはないよ。
 昔のおまえに戻っとくれよ」といい、今は戦争だという反論に耳を貸そうはしなかった。
 「なんて情けない子だろう」…カマリア・レイは言ようにいい放ったという。
 カマリア・レイにとって息子は別れたときのままであり、自分と別れて育った年月を想像さえしていなかった。
 アムロ・レイの行為に驚いたカマリア・レイは男手ひとつで育てられたために息子がかわってしまったものだと考えたが、自分が実のところ、息子の成長になにひとつ手を貸していなかったことには気づいていなかった。
 アムロ・レイの母親との再会はひどく後味の悪いものであり、彼に母子の関係がすでに終わってしまっている認させたといえるだろう。
 彼は母親を必要としていたときに、その愛情を与えられずに育ってしまったのである。

 ふた親のもう一方、テム・レイについてもアムロ・レイとの関係は絶望の色を帯びている。
 テム・レイが仕事中心で家庭を顧みなかったことは先にも述べた。
 (彼を知る人は、テム・レイが息子へ充分に愛情を注ぎ、気にかけていたともいう。
 サイド7へ向かう〈WB〉で彼に与えられた部屋に、息子の写真が置かれていたことがその証左であるとされるが、これはあくまでもテム・レイの側からの思いにすぎない。
 アムロ・レイにとっては決して満足のいくものではなかった)
 彼は9月18日の戦闘でコロニーに開いた穴から宇宙へ吸い出され、漂流。民間の宇宙船救助され、以後、サイド6のジャンク屋に住み込みで働いていた。
 漂流中に彼の脳は酸素欠乏症に冒されており、ジャンク屋では連邦軍のための新兵器開発と称してで無意味な研究を続けていた。
 アムロ・レイは〈WB〉がサイド6へ寄港した折、父と再会。地球で母と会ったことを告げるが、父の態度は冷談であった。
 酸素欠乏症に冒された父の精神は以前よりもいびつなものとなり、研究と開発にしか興味を持っていなかった。
 テム・レイは息子へRX‐78‐2の記憶回路へ取り付ける強化パーツを手渡すが、それは時代遅れのがらくたにすぎなかつた。
 余談であるが、テム・レイはアムロ・レイと別離後、ジヤンク屋の階段より転落死している姿で見つかっている。
 TV中継された、コンスコン機動部隊と〈WB〉の戦闘におけるRX‐78‐2の活耀を見て興奮し、足を滑らせたというのがもっぱらの噂である。
 近所に住む人々は彼の死んだ夜、連邦軍万歳と繰り返し叫ぶ声を耳にしていた。

 アムロ・レイには「家族」も「ふるさと」もない。
 守るべきものもなにもない。
 ララァ・スンの指摘は痛烈である。
 彼女はサイコミュによって生じたニュータイプ同士の共振現象の中で、アムロ・レイの総体を理解し、彼の孤独をも感じることができたのである。
 では、この僕たちの出会いはなんなんだ…アムロ・レイはララァ・スンへ問うたという。
 ララァ・スンはアムロ・レイよりも先にシャア・アズナブルに出会ってしまった。
 彼女にとってアムロ・レイとの出会いは遅すぎ、アムロ・レイにとってララア・スンとの出会いは突然すぎた。
 アムロ・レイにとってララァ・スンは完全な相互理解を可能とする対等なニュータイプの女性であった。
 しかし、彼女はシァア・アズナブルに与することを選び、連邦軍のパイロットであるアムロ・レイとは敵として戦場で出会うこととなってしまった。
 「運命だとしたらひどいもんだよな。
 残酷だよな」とアムロ・レイはララァ・スンとの交感の中で評したという。
 だが、アムロ・レイは同時に、この出会いを一つの事実として認めるべきだとも主張した。
 「認めてどうなるの?出会ったからってどうにもならない出会いなのよ」
 ララァ・スンはそのように反論したという。
 残酷な運命…この交感は同じ戦場にいたシャア・アズナブルにも感じることができた。
 彼はララァ・スンへ「ヤツとの戯れ事はやめろ」といい放ち、両機の間に割って入った。
 ララァ・スンはアムロ・レイに撃墜されかけたシャア・アズナブルを救うべく、機体を突進させ、RX‐78‐2のビーム・サーペルにコクピットを貫かれ、戦死した。
 彼女の断末魔の思惟をアムロ・レイは感じたという。
 「『人はかわっていくのね…私たちと同じように』
 …そ、そうだよ…ララァのいう通りだ…。
 『アムロは本当に信じて?』
 …し、信じるさ…き、君ともこうしてわかりあえたんだから…人はいつか時間さえ…支配することができるさ。
 『ああ、アムロ…時が見える』」
 アムロ・レイは自らの墜としたMAN‐08の爆発を見て、「取り返しのつかないことをしてしまった」と嘆いた。
 アムロ・レイの人生はここでいったん、終わってしまったといってもよいだろう。
 彼はララァ・スンとの間に人格の総体を理解し合うという、ニュータイプならではの至福の時間を持った直後、自らの手でそれを永遠に失わせてしまうという事態を招いた。
 このことが、まだ少年であった彼の心に深いトラウマを刻んだことは間違いない。
 一年戦争後、アムロ・レイは連邦軍によって軟禁状態とされたが、それに甘んじていたのも、この一件があったいえといえよう。

アムロ・レイがニュータイプという言葉を耳にしたのは〈WB〉へ乗艦してからであり、自身が軍からニュータイプと見倣されていることをはっきりと認識するようになったのは、オデッサ作戦前後であったといわれる。
 彼はオデッサでの戦いの直後、ベルフナスト基地で会見したレピル大将にニュータイプの定義について質問している。
 もっとも、ニュータイプとしての自覚は薄く、実際に自身の素養について認識させられたのはララァ・スンとの交感現象においてであった
 (初対面のシャア・アズナブルをそれと見分けたことは彼のニュータイプとしての覚醒を表す挿話であるが、彼自身はその理由をただ訝しむのみであったという)

 守るべきものがないのに戦っている不自然さを非難されたアムロ・レイであるが、彼はいみじくもこの邂逅の直前、〈WB〉のブリッジで次のように語っている。
 「ジオン・ダイクンのいった人の革新論の行き着く先茎だって、どういうものかわかってないんです。
 でも、人間は環境に従って変化してゆく能力は持っています。
 そんな人の能力を阻止するものは拒否したい。
 そんなものに対して戦わなくっちやいけないってことです」
 生き延ぴたいがためにRX‐78‐2のメイン・パイロットとして戦い、ニュータイプとして覚醒した人物らしい「理由」である。
 彼の戦いの理由は受動的なものであったといえるだろう。
 これは彼に対峙することとなったシャア・アズナブルにとっては甚だ不満足なものであったようだ。
 最強の兵であるアムロ・レイが受動的に戦うことは、そのまま体制の道具とされる危惧があった。
 それゆえにシャア・アズナブルはア・バオア・クーでの攻防戦においてアムロ・レイのRX‐78−2を相討ちで撃破後、生身で彼に対峙。
 抹殺を図り、これが果たせぬとみるや、同志たることを求めた。
 (ただし、シャアア・アズナブルはこの回答を得ることなく、アムロ・レイと別れることとなった)
 これに対してアムロ・レイは一貫してシャア・アズナブルによってララァ・スンが道具とされたことを非難し続けていた。
 シャア・アズナブルはアムロ・レイが体制の道具となることを危慎したが、ララァ・スンはシャア・アズナブルのつくろうとした体制の道具として死んでいったようにしか、アムロ・レイには見えなかったのである。

 ア・バオア・クーにおいて、アムロ・レイはいったんは死を覚悟したが、このとき、ララァ・スンの思惟を感じ、
 「殺し合うのがニュータイプでないでしょう」という天啓ともいうべき確信を得た。
 この言葉は以後のアムロ・レイの行動を考えるとき、非常に意味を持つ。
 パイロットとして彼は戦ったが、シヤア・アズナブルのように人の死に乗じた世直しを行おうとは決して考えなかった。
 殺し合うことで世直しえお行うことはニュータイプに求められることではない。
 結論を急がず、人類を信じることができるのがニュータイプである。という思いである。
(とはいえ、このような考え方によって第二次ネオ・ジオン戦争時、シャア・アズナブルの愛人であったナナイ・ミゲルはアムロ・レイを「優しさがニュータイプの武器だと勘違いしている男」と批判した)

 欄座した(WB)の乗員たちがアムロ・レイの声き、艦を脱出したことは有名な挿話である。
 殺し合って生き延びることだけではなく、彼の能力は〈WB〉の仲間たちの脱出に貢献したのである。

 一年戦争後は、大尉として連邦軍北米シャイアン勤務となった。
 80年代を通じて連邦軍がニュータイプを危険視したことは現在ではよく知られている。
 アムレイもこの例外ではなく、シャイアン基地勤務時代は軟禁状態であった。
 この基地は実質的に機能していない防空司令基地であり、アムロ・レイを監視するためにのみに存在したといっても過言ではなかった。
 彼は閑職と軟禁状態に甘んじ、0087年のグリプ戦役スまでの7年間を過ごした。 
 これは、ララァ・スンと邂逅によって負った心の傷を癒すことができなかったである。
 彼は宇宙に出れぱ、再び過去の過ちを繰りてしまうのではないかと恐れると同時に、ララァ・スンの思惟を感じることも恐れていた。
 クワトロ・パジーナの偽名を得てエウーゴで戦うこととなったシャア・アズナブルはアムロ・レイとの再会で、宇宙でともに戦うことを拒絶した彼の心中を看破し、次のように諭した。
 「ララァに逢うのが怖いのだろう。
 死んだ者に逢えるわけがないと思いながら、どこかで信じている。
 だから怖くなる。
 生きている間に、生きている人間のすることがある。
 それを行うことが死んだ者への手向けだ」
 アムロ・レイは軟禁状態の生活を「地獄」と形容いたが、宇宙へ出ることもまた、彼にとって恐怖であった。
 彼のもとを訪ねた、かつて〈WB〉に避難民と収容されていたカツ・ハウィン(グリプス戦役当時ヤト・コバヤシの養子となり、カツ・コバヤシ)は気のない彼をなじり、
 「僕らにとって,いえ、母にてアムロさんはヒーローだったんです。
 そんなこといわずに、地下にMSが隠してあるとでもいってください」とまでいい放ったという。

 シャア・アズナプルが彼の戦線への復帰を望んでいたことは先の言葉からも明らかであるが、彼はアムロ・レイが軟禁状態に留まることをティターンズに間接的に助力することだとさえ断じた。
 「籠の中の鳥は、観賞される道具でしかないと覚えておいてくれ」とまでいったのである。

 アムロ・レイの再起は、彼が人としての強さを再確認することで成し遂げられた。
 これは再会した仲間や、ライバルの叱咤激励によるものぱかりではなかった。
 好意を寄せてきたエウーゴの地球における同盟組織カラバのベルトーチカ・イルマの中に、彼は女性としての強さを見出し、7年の間、自らに失われていた強さを思い出した。
 彼は再び戦いの渦中へ赴き、ハヤト・コバヤシととも、カラバの一員としてテイターンズと戦うこととなった。
 彼は自らが本質的に戦士であることを自他へ証明することとなる活躍を示したのである。

 グリプス戦役時にはシヤア・アズナブルと、奇しくも、轡を並べることとなったが、後にシャア・アズナブルがネオ・ジオンの総帥となり地球への攻撃を開始したときには連邦軍の〈ロンド・ベル〉隊の一員としてこれと交戦した。
 アムロ・レイはシヤア・アズナブルとともに一パイロットとしてティターンズと戦ったときの経験から、シャア・アズナブルが何故に自らの手で「人の革新」を実現しようとしていたかを理解することができた。
 しかし、彼は〈ロンド・ベル)隊において一介のパイロットとしての分を守り政治的にはシヤア・アズナブルと対峙しようとはしなかった。
 彼はパイロットとしてRX‐93ニューガンダムに搭乗。
 シャア・アズナブルの地球へのアクシズ落しを阻止し、その戦いの中でシヤア・アズナブルのMSN‐04サザピーを撃破、終生のライバルととも行方不明となった。

 アムロ・レイはニュータイプでありながら、我々の知るその人生の最後の瞬間まで一パイロットとしてその務めを果たそうとしたのである。
 これを彼の思想性のなさと非難する向きもあろうが、先の発言に見られるように、けっして「人の革新」を信じていなかったわけでも、志向していなかったわけでもない。
 アムロ・レイにとってジオン・ダイクンの主張は充分に首肯できる説得力を有していた。
 にもかかわらず、彼はこの必然的に訪れるであろう、 「人の革新」を人間の手で早急に実現することには反対していた。
 実現者の独善的な世直しとなってしまうことを恐れたのである。
 ここに、シヤア・アズナブルとの根本的な立脚点の柏違があったといえよう。
 これは彼がララァ・スンを過失とはいえ殺してしまったという過去と、それによってもたらされた苦悩の結果であると見ることもできる。
 シャア・アズナブルの行おうとした早急な「人の革新」の実現は、ニュータイプになりきれない人類への絶望である。
 (シヤア・アズナブルはクワトロ・バジーナとしてエウーゴで戦ったとき、これを痛感したといわれる)
 しかし、ニュータイブとして過ちを犯してしまったアムロ・レイにとって、過ちを犯し続ける人類に絶望することはそのまま、自己の存在さえも否定してしまうことであった。
 シャイアン基地での、強制された隠遁生活での苦悩を乗り越え得たのは、人類の一人として「人の革新」が必然的に到来するという希望を信じたからであった。
 彼はかわろうとする人の意志を信じ、外からではなく、人それぞれの内的必然によってそれがもたらされるべきであると考えていたといえよう。
 無論、アムロ・レイの考え方を日和見、逃避といった形で批判することもできる。
 だが、これに対峙するシャア・アズナブルの考え方も独善の誹りを免れることはできない。

 最後にアムロ・レイが一年戦争時、ア・バオア・クーを脱出したときのことを記截しておきたい。
 アムロ・レイの「声」によって導かれた〈WB〉の乗員たちは、ランチに当のアムロ・レイが乗っていないことに驚いた。
 〈WB〉の乗員たちの中でひときわニュータイプとして覚醒の目立ったセイラ・マス、ミライ・ヤシマといった面々にも彼の存在を感じることはできなかった。
 その中で避難民として収容され、以後、〈WB〉)の最年少乗員として艦にあった3人の子供たち、カツ・ハウィン、レツ・コフアン、キッカ・キタモトがアムロ・レイの声を聞き、その脱出を指示した。
 「そう、ちょい右。はい、そこでまっすぐ。そう、こっちこっち、大丈夫だって。すぐ外なんだから」
 …子供たちが不意に発した言葉の意味を、私たちは即座に理解できなかった。
 「いい、アムロ?あと、5、4、3、2、1、ゼロ」
 …子供たちのかけ声とともに、爆発の輝きの中からコア・ファイターが飛び出してきた。
 大破したRX‐78−2のコア・ファイターを脱出装置としてア・バオア・クーを脱したアムロ・レイは、ランチからのハヤト・コバヤシの発光信号を確認。
 「ごめんよ…まだ、僕には帰れるところがあるんだ…こんな嬉しいことはない
 …わかってくれるよね。ララァにはいつでも会いにいけるから」
 アムロ・レイはそのように咳き、コクピットを出るや、仲間たちのもとへ向かったという。

 機械いじりが好きで人付き合いが苦手。プライドが妙に高く、自分を高く評価して欲しいと願う反面、目の前のことから逃げたいと望んでいる。
 正義感が強いものの、それは自分が常に正しいと信じているからにすぎない。
 突然に感情を爆発させることもあれば、卑屈きわまりない態度を見せる
 …そのような少年であったアムロ・レイが、苦楽をともにした仲間たちを帰る場所と考えられるまでに成長し、「声」を送ったことを忘れてはならない。
 彼の、一年戦争以降、特に第2次ネオ・ジオン戦争での態度を考えるとき、彼が最後までこの場所を選んでいたことがわかるだろう。
 ララァ・スンを挟んで終生のライバルとなったシヤア・アズナブルは、アムロ・レイの得たような場所を持ち得なかった。
 余談であるが、アクシズの破片が地球への落下軌道を外れたことは、アムロ・レイと彼に共感した人々の意志が実現された「奇蹟」であったと形容する人もある。




リド・ウォルフ(地球連邦軍)
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 《踊る黒い死神》の異名で公国軍に恐れられた彼であるが、もともとは戦闘機パイロットであった。彼は人手不足から促成教育でMS操縦を学び、アフリカ掃討作戦頃からMSパイロットとなっている。アフリカ掃討作戦では、わずか1週問で21機を撃墜、一躍、エースとして知られることとなった。その後、宇宙での連邦軍の反攻作戦に従軍、主立った作戦すべてに参加した。彼の乗機は地上ではRX‐77Dガンキヤノン量産型、RGc-80ジム・キャノンであったが、宇宙ではRGM‐79SPジム・スナイパーUであったと見られている。どれも黒く塗られており、、この機体を激しく動きまわらせることから《踊る黒い死神》の異名を与えられた。ちなみに、乗機の塗装と戦法の特徴は彼の戦闘機時代からのものであったという。